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カテゴリ:両親
長い盆休みから
19日の 土曜出勤 今週は 月曜 火曜 水曜 一日おいて 金曜 土曜と この猛暑の中 タイトなシフトです 本来の出勤は 週に 2~3回ですが カタログの変更や 業者様との お打ち合わせが続き 私にしては ハードなスケジュールを 過ごしています💪 なので 手抜き料理が続いています😖💦 ところで 話は とても長いです 22日(火曜)は 父の命日でした 日曜に 法要を 行う予定です 当日は 仕事日でしたので 朝 父の好きな ちらし寿司を作り お菓子や フルーツ ビール 日本酒を お供えして 出勤 帰宅後 柵で買ったマグロを 切り お酢のものなどを パッと作り 父の 切子グラスに ビールを注ぎ献杯🍺 6年前の 22日を 思い出します 父 90才 朝 いつものように 「おはよう」と 声をかけると スヤスヤと 眠っていたため もう少し 寝かせてあげようと思い 朝ドラ終了後に レンジでチンしたタオルを いつものように 持って行き 「さぁ~ 顔を拭こうね」と声をかけるが 反応なし 瞬時に ただ事でないと 判断 訪問ドクターに TELをする 一瞬 救急車にしようか 迷ったが 入院後の事が 頭をかすめ 訪問医を選んだ ところが 先生は 老健の診察日の為 すぐには 来れず とりあえず 看護師さんを呼んで欲しいとの事 在宅訪問医と 訪問ナースは 別々なのです ほどなく 電話で駆けつけた看護師さんは 血圧や 酸素飽和度を測るが 医師の判断なしでは 何も出来ない状態 その間も やはり 救急車を呼ぶべきかと 逡巡 その頃には 連絡していた 叔父 叔母 会社を早退した娘が 到着 長崎の従姉妹も 長崎駅に向かってるとの事 息子は仕事中 なるだけ早くに来ると… バタバタしてる最中に やっと 医師到着 父を診た後に 「脱水症を 起こしてますね 若い人なら コーラでも飲めば すぐに 目が覚めるけど Sさんは 高齢なので 長めに 点滴をしましょう 夕方になったら パチっと 目が覚めます」 それを聞き 皆 安堵して 笑顔になり 私は 父の手を握りしめ お父さん 良かったね~ 早く 目を覚ましてね💚 安心した 叔父と叔母は 夕方又来ると 帰って行った 娘は 雑誌に目を通し 私は 掃除機をかけ 10分後に 父の様子を見にいくと 息をしていない 突然でした 静かに 眠るように 息を引き取ったのです 亡くなった事が 信じられず だって 数時間経っても お腹が温かいのです 医師からは ご臨終と言われても 何かの間違いでは 夕方には 起きるって 言ったじゃない ずっと 父のお腹に 手を触れていました 葬儀が終わってから 年末まで ずっと 朝から 夜まで 毎日 泣き続けていた スーパーや 銀行も 知り合いに会えば 必ず 「お父様 お元気?」 と聞かれるのが 悲しくて 怖くて わざわざ 遠くの店舗や 支店に行っていた 母が亡くなった時から ずっと 父を守るのが 私の務め 父を支えなければ と 常に 思っていた なのに 本当は 支えられていたのは 私の方だったと 父を失い 気づかされた 毎晩 父のベッドの下に お布団を敷いて 寝ていたのに あの日に限って 隣のリビングのソファーで 熟睡してしまった事を 後悔 もしかして 父は 私の名前を呼んだかもしれない お水も 減っていたので 喉が 乾いていたのでしょう 訪問医師の言葉を 鵜呑みにして 点滴の最中に 何故 呑気に 掃除機をかけたんだろう など ずっと 手を握り 側にいれば良かった 考えても 変わらぬ事を 繰り返し 悔いていた そして 何より 繰り返し 繰り返し 苦しんだのは 救急車を呼ぶべきだったか という事です 今まで 3度の心不全 そして 軽い脳梗塞を起こした時 膵炎や 肺炎 3度の圧迫骨折の時も 少しの変化 様子が違うと すぐに 救急車を呼んでいました 毎回 処置が早いので 驚くほどの 回復力を見せていた父 父は その度に また いつのに 命を救われた 世界一の娘だ と 言ってました💚 ただ この時ばかりは 昏睡状態の父を 見て 躊躇しました 3月に 4回目の心不全を起こした時 すぐに 救急車を呼び 入院 心臓が アップアップ状態でも 過去3回は 利尿剤で 見る見る間に 元気な姿になり 毎日 私が 帰る時には エレベーターまで 見送っていた父が 何日経っても 状態が快復せず 私の目には 良くなってないにもかかわらず 退院となる それでも 自宅で 苦しそうで 退院後1週間で また 救急車を呼び再入院 その時に 主治医から 4度目の心不全で かなり 心臓は弱っている 腎臓も弱り 利尿剤が 効きにくい 一年生きるかもしれないが 明日かもしれない 心臓は予測がつかない と。 それで 退院させ 在宅医療に切り替えたのです 何と言っても 父は 家が大好きでしたから💚 そんな経緯があるので 救急車を呼び 入院しても 回復は 難しい状態のまま 薬と処置で 意識は戻ったとしても 管を 何本もつけて過ごすのが 父にとって 望ましい事かと考えた時 きっと 父は 沢山の家族に囲まれ 手を握られ 声をかけてもらい 母の元に 行きたいのでは との思いがあり ためらってしまったのです けれど 救急車を呼んでいたら 奇跡が起きたかも という考えも いまだに 頭をかすめています どちらを選んでも 果たして これで良かったか と 悔いは 残ったでしょう この時の事は 死ぬまで 私の頭から 離れないと思います 今でも 目覚めと同時に 父を想い 運転中 入浴中 眠りにつく時も 父を想う 世界で 一番 愛してる きっと 前世で 父は 私の息子だった そんな気が ずっと しています 父と母の間に 生まれた私は 世界一の幸せ者だと 思います 感謝💚 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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