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2005年10月21日
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カテゴリ:音楽
10月12日に書き込みましたWoodyでのベースマン・・溝口龍太郎さん(88歳)は、こんな有名な方なんですよ。「あたごおかりな」のオカリナの伴奏をしていただき感激です。(画像の左側が溝口龍太郎さんです。)
貴重な記事がありましたので下記に掲載いたしました。

今もバンドを続ける溝口龍太郎
 戦前から戦後にかけての日本のハワイアン音楽が、SP盤から復刻された。ハワイアンは灰田晴彦(後に有紀彦)・勝彦の兄弟や白片力(バッキー白片)ら、ハワイ移民の二世たちが日本に紹介して人気を博したが、戦争で衰退。戦後に復活した。復刻された2枚組み「幻のハワイアン 1&2」(オーマガトキ)は、当時の様子を物語る貴重な音源だ。
 収められたのは、1938年から51年にかけての38曲で、演奏はカルア・カマアイナス、レイ・キング&ヒズ・ハワイアンズ、ワイキキ・セレナーダス、ワイラナ・グラス・シャック・ボーイズ、南海楽友。
 ハワイアンは当初、富裕層の音楽だったが、次第に学生を中心に普及。しかし戦争の影が濃くなると演奏やレコード鑑賞もしづらくなった。輸入レコードも入らなくなったため、日本のバンドが本場のバンド風の名前でレコーディングするケースが増えた。日本人であることを隠すため、歌が入っていないレコードがほとんどだ。CDに収録されたレイ・キングはバッキー白片の覆面バンドだ。
 戦争が本格化するとハワイアンは「敵性音楽」とされ、バンドは名前を日本風に変えて自作曲を演奏するようになる。朝吹英一らのバンド「カルア・カマアイナス」は「南海楽友」と名を変えた。
 当時の関係者は多くが故人となったが、ワイキキ・セレナーダスでギターを弾いていた溝口龍太郎(88)は今も健在だ。「バンドをやるなんて不良だと思われていた時代でした」。バンドは全員いすに座って演奏し、はかま姿の女性コーラスが後ろに立った。レコードは高くて買えない。楽譜もない。レコード店の試聴室で輸入盤を何度も聞き、譜面に起こした。
 戦後、生き延びたミュージシャンたちは競ってバンドを作った。最盛期はバンドは70余り。最も人気があったのは灰田兄弟のニュー・モアナ。溝口もニュー・モアナに参加し、56年の解散まで在籍した。
 「その後、音楽もファンの好みも多様化して、ハワイアンは時代遅れになった。でもフラの添え物のような今のハワイアンよりも、私は昔の方が好きですね」と、今も趣味でバンドを続ける溝口は言う。





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最終更新日  2005年10月22日 12時41分59秒
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