孤独の練習
人間はもともとは『男女子』で一つの球状だったのだが、神の怒りに触れ二つに切り裂かれてしまった。以来人間は孤独を抱え込むことになる。kuessen,an sich drueken,verkehren,zeugen(=kiss,hug,intercourse,procreate)全ては人の孤独を紛らわせる行為である。ゲーテは『旅人の夜の歌』で山小屋で自然の静けさの中に自己の内面も溶け込む心の平和を謳った。31歳のときに山ごもりをして一人になり自分を見つめなおしたものと思われる。晩年の西東詩集では、死に意識するかのような詩を書いている。Stirb und werde!死の到来の不可避な事は理解できるが何になれとの答えは書かれていない。いかにも東洋的で答えは読者が考え補完せよと言うことなのだろう。ただ私には「死を受け入れる準備はできている。わが魂は生き続ける。」と彼は宣言していると思える。82歳に再び山小屋を訪れたゲーテは若き日のRuhe(=calm)と老境の受け止めかたの落差にいみじくも涙したのではなかろうか。精神の成長は自身共に同調できる人をますます少なくさせる。加齢するにつれ同年輩の親しき人も先立ち孤独感は発現する。これは人間の宿命である。父母が無くなれば『自己を無条件に気に掛けてくれる人を失った。」事を実感し、自分を愛するあまり寂寥の感に陥り悲しむ。また孤独感が頭をもちあげる。Aber Vater und Mutter sind lange tod人間は孤独から解放されないが、上手にマスクして生きることは出来る。今僕もBLOGに参加しているがこれも一つの小さな解決法ではないか?今高齢化がすすんで1日あるいは数日も一言も人と会話をしない老人もたくさんいらっしゃいます。孤独死に繋がる悲しい現象です。話し相手があると言うことは孤独感を角に押しやり、また元気な人はボランティア活動に参加して友人を作るのも良い方法です。何か目的を持つことは人に力を沸かせる。僕の場合だと「放送大学を何とか卒業してやろう」と言うものでけつこうな時間つぶしだからだ。精神的な豊かさを豊富に持つことは強い。頭で空間的に遊び、構築できる人はたとえ独房に押し込められても孤独に堪えられる可能性がある。廃墟の庭