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2006.05.17
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カテゴリ:放送大学
放送大学の面接授業『心の豊かさを求めて』の心に残った事を自分のために思い出して
BLOGに書き込もうと思います。

60%も正確に捉えていないと思いますが、



13日はあいにくの雨でしたが、住職は
『新緑の候の比叡山は小雨降る日は『山滴る(シタタル)』といい慣わします。』
素晴らしい日に訪ねてくださいましたと迎えてくださいました。






<メモ>
求道:生きる意味を見つけようとしているのが坊主である。

戒の必要性:戒がなければ無法である。破戒するものがいてもそれなりに意味があり、無戒の状態より世の中は良いのである。

宗教はマインドコントロールである。自分を生かすように利用するとよい。

比叡山の僧は『行』を行ないます。
佐々木さんは『常座三昧』という3ヶ月間常に座禅するという常人には出来ない行を成し遂げられました。
また『常行三昧』という行もありまう。別の方がやり遂げられたのだそうですが、これは3ヶ月間「阿弥陀仏」を唱えながら堂内を回り続けるそうです。その時極限状態になったとき堂内に仏様の群れが現れて仏け様に包まれたとのことです。

一般人がその仏の出現の話を耳にしても
『それは幻想である。』とかたずけるかも知れない。
しかし修行僧ははっきりと体験したのであり一般人の目には見えない現象なのでしょう。
否定する事は出来ません。

仏にならんと自力で行に入り、極限状態に自己を追い詰め、そこで自己のなくなった状態で、自分を何かに(仏に)捧げて、誰かに(仏様に)救っていただくというストーリーであるような。

なんだかマゾヒスティックですね。

しかし一所懸命、必死、極限まで自己を追い詰めるような状態に至った時、
人は何か霊感のようなものがひらめくのかもしれません。

座禅をして自分の心をみつめて、自分の悪に絶望した時、転機があり目覚める。

「悪人正機説」とか「摂取不捨」や「仏に救われる教え(他力)」とかの言葉も出てきましたから佐々木さんは真宗に近いお考えと思います。

滋賀学習センターが龍谷大学の中にありますから、浄土真宗との何らかの親近感もあるようです。

昨年同じ滋賀学習センターで『近江商人』が清貧勤勉で行商活動を全国で展開した原動力は浄土真宗の教えが大きいという事を学びました。

親鸞の教えはどことなくキリスト教のプロテスタンティズムに似ています。

親鸞は利休と異なりキリスト教の接点は無いと思われ面白い!
歎異抄













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最終更新日  2006.05.17 22:56:46
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