『ウォーターマーク』以来【
エンヤ】のアルバムは買っていなかった。それは、これ1枚で充分じゃないかという、気持ちからで、まぁアイルランドの【
クラナド】あたりと比べるとケルト臭さというかトラッド臭さ、宗教臭さみたいなのが『ウォーターマーク』は希薄で、それが聴きやすさになって、売れた原因だったのではないかと思う。
癒しの音楽としては、それを浴したときにしか必要がない音楽。自分にとってのエンヤとはそんな存在だったのですが………
昨年の大晦日の晩、たまたまTVの画面でエンヤの映像を目にしました。それは奈良の東大寺(だったかな?)の前で「AMARANTINE」を歌うエンヤ。その荘厳で格調の高い歌唱に魅せられてしまった。単なる癒しの音楽だけではない、重厚感と透明感に満ちた拡がりに……エンヤの音楽と日本のお寺、このマッチングの良さは意外でした。
それから、またエンヤが聴きたくなってしまった私です。
「AMARANTINE」(アマランタイン)とは、“詩人が永遠の花”を語るときに使う言葉だそうです。
《AMARANTINE》
♪ほら 愛を人に贈ると
心が開けられて
何もかもが新しくなる
そしてほら 時というのは必ず
それが真実だと
あなたの心が信じるように導いてくれるもの
ほら あなたが口にするのは何でも愛なの
囁きも、言葉も
交わす約束も
一日の鼓動のなかに それを感じる
ほら 愛とはこういうもの
アマランタイン アマランタイン
アマランタイン アマランタイン
愛の姿 愛の姿♪
“愛”という抽象的な言葉を「AMARANTINE」という象徴的な花に例える。愛は散ることのない永遠の花であって欲しいという願いと、愛に喜びを感じる時もあれば、時に愛に泣かされる事もあります。愛に精神を解放されることもあります。
全ての
生の営みが愛に基づくものだという慈しみ、どうしょうもない重さと、美しさを「AMARANTINE」という花に投影すること。実在する花なのか実在しない花なのか、この際問題ではないですね。
哀愁を帯びたメロディーに隠されたエンヤの祈りに似たメッセージ。聞き込めば聞き込むほど、ジーンと来てしまいます。
アルバム通して、ゆったりとした曲調なんだけど、緊迫感がビンビン伝わってくるんですね。エンヤの声も優しいものだから、よけい泣けて来ちゃいます。
現在エンヤはアイルランドの首都ダブリン郊外にある古城で暮らしていて、スタジオも自然に溢れた中にあり、音楽作りには最適な環境だそうです。
都会で暮らしている忙しい人々に“愛の恵み”を感じる暇などないでしょう。それだけに、
エンヤのような音楽は必要なのです。
このアルバムをチェックしてみる?
人気音楽blogランキングを見てみる?