カテゴリ:歴史
三津七湊(さんしんしちそう)とは勘合貿易が盛んだった室町時代末に成立した日本最古の海洋法規集である「廻船式目」に、日本の十大港湾として記されている三津、七湊の港湾都市です。津は湾などの地形、湊は河口などで船の停泊に便利な所の意味です。
*三津とは、 ・伊勢安濃津(津市) ・筑前博多津(福岡市) ・和泉堺津(堺市) 明の「武備誌」では博多・安濃津と坊津(鹿児島県)が「日本三津」として記されています。 *七湊とは、 ・三国湊 : 越前国坂井郡(福井県坂井市)九頭竜川河口。 ・本吉湊 : 加賀国石川郡・能美郡(石川県白山市)手取川河口。 ・輪島湊 : 能登国鳳至郡(石川県輪島市)河原田川河口。 ・岩瀬湊 : 越中国上新川郡(富山県富山市)神通川河口。 ・今町湊(直江津) : 越後国中頸城郡(新潟県上越市)関川河口。 ・土崎湊(秋田湊) : 出羽国秋田郡(秋田県秋田市)雄物川河口。 ・十三湊 : 陸奥国(津軽、青森県五所川原市)岩木川河口。 7つの湊うち4つの湊は北陸にありました。これらは日本海交易の拠点として栄え、近世には北前船の寄港地ともされました。当時は小型の船であるため、夏場は波の穏やかな日本海を航行していました。多くが日本海側の自然地形をうまく利用して建設されました。朝鮮、中国から見ると日本海側が表日本でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 4, 2012 01:22:31 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|