テーマ:タイガース党(8273)
カテゴリ:あの日あの時
2003年4月11日。
もしかしたらこの日に藤川球児はブレイクしていたかもしれない。 この日、あと1球コールが起こる中、「ピッチャー藤川」がコールされた。 7-1。楽勝のはずの展開で悪夢は起こった。 肩の準備をするには十分時間があった。 しかし・・・心の準備ができていなかった・・・ 名将星野が、一瞬にして、迷将星野に変わった瞬間だった。 タイムリーをうたれ、後藤に3ランをうたれ・・・同点にされた。 2ストライクから、交代はないと思っていたところに登板というのはかわいそすぎた。 星野監督は、藤川を今後、抑えに使う予定だった。 だからこその決断だった。吉野に不安があったから、あと1球で交代させたのだから。。。 でも、この試合が、のちのキーポイントとされたのだから酷な話だ・・・ 一部で、この3ランが、本塁打厳禁の原点をされているが、このホームランではない。 いろんな意味で2003年の優勝の分岐点だったかもしれないが、球児くんにとっても分岐点だったかもしれない。 あの時点で抑えになっていたら、並みの選手で終わっていたかもしれない。 山口コーチの助言もなければ、伝説のストレートも存在していないかもしれない。悪いフォームのままなのだから・・・ 抑えていたら・・・打たれたから・・・ではなく、まだ未完成の球児くんのままでは今の球児くんはいない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年08月07日 22時25分56秒
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