3月27日が友引だったため、葬儀は28日ということに。
入院先の病院から電話があったのは3月26日の午前3時前。既に叔母は息を引き取ったという知らせ。これが親切なのか不親切なのか、結局は家族の誰もが死に目には会えなかったけれど今となってはどうすることもできない。
叔父(故人の妹の旦那様)による親族代表謝辞から、未婚のままに逝ってしまったこの叔母の発病は何と14歳だったとのこと。74年もの間を対人恐怖やら他の病気と闘い続けたたことになる。夫のことはちゃん付けで呼ぶことができても、結局私の立場を理解できないままに旅立ってしまった。最終的に彼女の死期を早めたのは大腸癌だったようだけど。
昨年、両隣にご不幸があり、次は我が家?と覚悟はしていたものの、やはり家族の一人を見送るというのは厳しいものがあり、私が高校卒業後にお世話になっていた叔母(母の妹)の他界でずうっとブログにも顔を出せずにいたのを、姪の娘の高校入試合格発表に勇気づけられるかのように、息を吹き返したつもりだったのに、またもや意気消沈。
美人薄命とは言うけれど、大正生まれのこの叔母は達筆で裁縫の腕も立つし、算盤をはじく指の速さには周りの者が驚かされたほどだという。新聞やテレビのテロップなども、頼りにしていた兄(夫の父)より早く読んでいたらしく、「兄ちゃん、そんな字も読めないの?」みたいな会話があったようだ。ただ、母親とは幼くして死別したため、女中奉公に上がった先での不幸な事故の解決策が思うに任せなかったようで、そのことに起因しているのか、すっかり人格を失ってしまったため、結局は未婚のままに旅立つことになってしまった。。。
近くの葬儀場でお世話になり、棺に入れるメッセージカードが用意されていたので、表題の通りに記入して納棺させていただいた。笑顔を取り戻すことはできたのかなぁ。先に逝ってしまった、大好きだったお兄ちゃんといつまでも仲良くして欲しいな。
せめてもう少し暖かいと気分的にも違うのかも知れない。まだまだ一歩外へ出る勇気も出ないでいる私。
またまた、日記は飛んで飛んでになりそうですが、私は何とか息しておりますので、皆さまご安心ください。