私の誕生日
一年に一度、7月26日といえば、私の誕生日です。再三言いますが、今年で83歳になりますが、振り返れば、私の人生はそれこそ波乱万丈でした。まず、次男として産れ、母親の里へ養子に出されました。それが先の大戦・第二次世界戦争の大阪の大空襲で地域全体が焼失し、福知山へ疎開していた私は、戸籍喪失となります。さらに、私が小学5年生の時には、父親が、肺に膿が溜まる「膿胸」と診断され、結核の恐れはなかったのですが、隔離病棟に入院すると共に、余命1年と宣告されました。宣告を受けた母親は、子供4人を集め、自分は父親の看護のために忙しくなり、これからは、「自分のことは、自分でするように!」と、言われました。結局、父親は左肺を除去し85歳迄生きました。さらに、中学2年の時に、「裁判により復籍」し、ようやく高校にも進学でき、さらに3年の大学受験という時に、進学指導の先生から、4大証券会社が「証券大学」を創るという話があり受験を進められます。給料を貰えて大学へ進学できるというので、全国から多くの人が受験し、恐らくパスすることはないだろうと言われていましたが、めでたく大和証券の本社営業企画部へ入社することができました。ところが、半年後には、四大証券会社の1社が、経営不振に陥り、証券大学の話はなくなります。そして有価・証券外務員登録証に、合格した私は、自動的に営業に配属されました。大学へ進学するつもりが、証券会社に6年程在籍することになり、もう大学進学は無理と判断し、それならば、「自立し創業しかない」と決心し、写真用品の卸売り会社へ転職します。そして7年程準備にかかり、ようやく31歳で念願の会社を創業することになります。その会社が52年程順調に成長し、次男に社長を引き継ぎ、現在の私が存在します。残りの人生は、免許証返納後、免許がなくても、大人3人が乗れる“電動アシスト四輪車両”の販売に力を入れ、世の中で、必要とされる人間になりたいと思っています。合掌