生と死の表現力が大事
最近の少年誌では生と死の表現が制限されている。子供の頃からそうゆう表現を見せてはならないという親心を配慮してのことだろうと思うが…それが間違いということにいつ気づくのだろうか。テレビでもそうだが、苦情がきたらそれに合わせて手法を変えたり、謝罪したりしている。意見を聞くことは大事だと思うが、苦情を言う人間の数と苦情を言わない人間の数はどちらが多いのだろうか?もちろん、間違ったことに対しては謝罪するべきだし訂正したり手法を変えるのは当たり前だと思う。ただそれが全てに当てはめて良いのかは別である。何でもそれに対応して表現力を抑えたとしてもまた新しく苦情は入ってくる。きりがないことを続けて、表現力をなくし何とも思わなくなるものが面白いとは思えない。そんなに過保護に育てた世の中は面白いと言えるのだろうか?人が持つ表現力は自由で無限なものであってそれに規制をかけて縛りつける世界は楽しいですか?今度アニメ化が決定した『デッドマン・ワンダーランド』完全民営化刑務所という刑務所の中で生死を争う物語をテレビはどう表現していくのだろう?