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As’s HOLE ~ぼくのプレミアライフ~

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相年自信 fuzzgさん
We Love You, LIVERP… せじともさん
2006.06.26
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カテゴリ:National Team
1996年アトランタ・オリンピック。
サッカー日本代表は予選リーグでブラジル、ナイジェリア、ハンガリーと同組になった。
そして初戦の相手はブラジル。
圧倒的不利を予想されたこの試合だったが、
川口の好セーブに助けられ、相手ディフェンスのミスからラッキーな形で得点を奪い、
1対0で日本が勝利した。
いわゆる「マイアミの奇跡」である。


あれから10年である。
ワールドカップ日本対ブラジルを見ているうちに、この10年前の出来事を思い出していたのは
ぼくだけではないかもしれない。
もしかしたら試合前に思い出した人もいただろう。
何せ「マイアミの奇跡をもう1度」とメディアが騒いでいたから。
あの時と同じように勝って決勝トーナメント進出を決める、
いわゆるポジティブな意味での「マイアミの奇跡」を。

しかしぼくが思い出したそれは、逆にネガティブな意味でのそれだった。


96年のブラジル戦。
当時の監督だった西野はブラジルから勝ち点を得るために、あわよくば勝つために、
全員で守備を徹底しカウンターでチャンスを作る、という至って現実的な戦術を採った。
これは間違っていなかった。
当時の日本はJリーグが始まって4年とはいえ、
海外でプレーする選手もいなければ、世界を知る人間などほとんどいなかった。
かたやブラジルは相も変わらず強豪国の1つであり、
ジダ、ロナウド、Rカルロスなど現在も代表でプレーする選手が名を連ねていた。
そんなブラジルを相手に守備を固めるのはごく自然なことであり、
なおかつ勝利という結果も出した。
しかしこのやり方に異議を唱える選手がいたのも確かであり、
それが2戦目のナイジェリア戦で表面化する。

当時のナイジェリアは身体能力だけの、組織などまるでなく個人技に頼るだけのサッカーだった。
しかし世界をほとんど知らない選手からすると、
初めて相対するその身体能力に体がついていかず、守備をするだけで精一杯。
違う意味で組織などまるでなく、攻撃に構っている余裕などなかった。
ヒデを除いて。

その数年前、ワールドユースでナイジェリアとの試合を経験していたヒデにとって、
ナイジェリアの身体能力はさして驚くほどのものでもなかった。
もちろん1度経験しているということもあるが、
ワールドユースに比べ全くナイジェリアに成長の跡が見られなかったのだ。
これならもっと攻撃をすることが出来る、ゴールを奪うことが出来ると判断したヒデは、
前半終了後のハーフタイムに後ろの選手、つまりディフェンス陣に対しもっとラインを上げるように要求した。
ラインを上げることで人と人の間隔が狭くなり、パスも繋ぎやすい。
また高い位置からディフェンスをすることでボールを奪った際の攻撃への切り替えが早くなる。
そんなこともあって要求をしたのだが、
ディフェンス陣からすると土台無理な話であった。
上にも書いたようにナイジェリアの攻撃を防ぐだけで精一杯であり、
なおかつ低い位置での守備は監督からの指示だった。
今でこそ個人の判断でラインの上げ下げが出来る日本であるが、これは10年前である。
ディフェンス陣からするとヒデの要求は無理難題であり、
仮にその要求を実行に移したところで失敗するのは目に見えていた。
このやりとりに対し、周囲の選手は口を挟むことはなかった。
いや、挟めなかった。
彼らもまた自分のことで精一杯だったのだ。

ハーフタイムの時間は限られている。
刻一刻と後半開始の時間が迫る中、西野監督がヒデに言葉を、優しくない言葉をかけた。
どんな言葉だったかは忘れてしまったが、なにしろキツイ言葉を投げかけた。
後半のピッチにヒデの姿はなかった。
結局、試合は0対2で敗れてしまった。


さて2006年に話を戻す。
日本の現状について色んな雑誌を読んでいる中で、
代表選手の中でヒデが孤立しているのが感じられた。
見た目や言動からくるのか近寄りがたいイメージもあって、何かあると
「ヒデさんは特別だから」「あの人は別次元の人」と別世界の人間であるかのような扱いだった。
これから代表として1つにならなければいけないのに、である。
また2年前のヒデの怪我による代表離脱も影響している。
ヒデのいない間に厳しい予選を戦い、アジアカップでも優勝を果たした日本だったが、
ヒデが復帰すればすぐ先発で使われた。
これでは他の選手は「なぜ?」と思うのは想像に難くなく、
モチベーションも下がるというものである。

ヒデと周囲にあった「壁」。
代表として戦う意味を、現代表の中で1番知っているであろうヒデは、
何度と無く「壁」を壊そうとした。
まずは周囲から話しかけられるのを待って。
それでも無理と思えば、8年前ならしなかったであろう、下に下りることで自分からコミュニケーションを図ることで、自ら食事会を開くことで。
しかし無理だった。
そして最後に取った手段。
それがメディアを通じて訴えること、そしてプレーや練習で、背中で訴えることだった。
それに対しての答えは、変わらず「特別」「別次元」だった。


結局、最後まで「壁」が取り除かれることはなかった。
もしヒデにもっと社交性があれば。
修羅場を経験している戦友がいれば。
そして勝利に飢えている味方がいれば。
「ドルトムントの奇跡」は成し遂げられ、結果は違ったものになっていたのかもしれない。


96年オリンピック。
1勝1敗で迎えた第3戦、ハンガリー戦。
3対2という点の取り合いを制し勝利を収め勝ち点を6にした。
しかしブラジル、ナイジェリアと同勝ち点で並び、結局得失点差で予選敗退となった。
実はこの時、ヒデの反乱よりも前に内部分裂があった。
それは得点を挙げメディアに賞賛される攻撃陣と、
守備があるから攻撃陣が働けるのだと自負する守備陣との分裂である。
この分裂に監督の戦術がプラスされヒデの反乱に繋がったわけだが、
96年にあって2006年になかったもの。
それは「勝利への執着心」ではないか。
勝つために守備をする。
勝つためにゴールを奪う。
勝つためにラインを挙げろと要求する。
勝つために引いて守ろうとする。
他の余計な雑念を一切取り除いて、唯一「勝利への執着心」だけがあった。
だからこそ予選敗退にはなったものの2勝を挙げることが出来たのではないか。

ワールドカップ対ブラジル戦の試合後、センターサークルで仰向けになり涙を流したとされるヒデ。
今まで無愛想ながらも何かを話していたのが、ブラジル戦後は言葉になっていなかったヒデ。
クロアチア戦のPKを止めた川口に真っ先に飛びついていったヒデ。

ちなみに川口とヒデ、共にアトランタ経験者である。



ほな、また。





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Last updated  2006.06.26 04:17:38
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