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テーマ:サッカーあれこれ(19788)
カテゴリ:Liga Espanola
最終節を迎えたリーガエスパニョーラ。
3クラブに可能性があった優勝争いと同様に注目を集めていたのは、降格争いだった。下位3クラブが自動降格のリーガにおいてヒムナスティックの降格は既に決定しており、残る2つを4クラブで争っていたのだが、注目を集めていた理由はそれだけではない。バスクの雄、アスレティック・ビルバオとレアル・ソシエダがこの4クラブの中にいたからだ。 リーガの2大クラブといえば首都マドリーのレアル・マドリーとカタルーニャのバルセロナである。歴史的・政治的背景も絡んで対立を続ける両クラブは、スペイン代表にも多くの選手を送り出すビッグクラブである。そしてそれに続くのはバレンシアといったところだが、ほんの十数年前まではビルバオ、ソシエダに所属するバスク人が代表の勢力として名を馳せていた。間断なく送り出される名選手を育て上げたこれらのカンテラ(下部組織)はスペイン屈指の組織として高く評価されていた。 だがボスマン判決やテレビマネーの流入によりサッカー界は激変し、各クラブ間の格差は大きくなり、それによりバスクのカンテラで育ちデビューした有望選手も少しの活躍ですぐにビッグクラブへと旅立つことになってしまった。 スペインは他のヨーロッパ諸国に比べ、地元意識がとりわけ強い。マドリーとバルセロナの関係を初めとして、ETA(バスク祖国と自由)の名前を聞いたことのある人もいるだろう。スペインからの独立を目指し政府と戦い続けるETA。そんな民族性もあって、ビルバオは1898年の創立以来、親がバスク人でなければ決して入団を認めない「バスク純血主義」と今日まで貫いている。それでいてこれまでリーグ優勝8回にコパ・デル・レイ優勝23回を誇り、しかも創立以来1度も2部に降格したことのない超名門クラブである。ちなみに2部降格を創立以来経験していないのはビルバオのほかにはレアル・マドリーとバルセロナだけである。 1909年創立のレアル・ソシエダもまた1989年までは「バスク純血主義」を貫いていたが、背に腹は換えられなかったのか、バスク人以外の選手、イングランド人のオルドリッジを獲得。ニハトや現在ではコバチェビッチといったワールドクラスの外国人をクラブに入団させている。だがバスク人以外のスペイン人となると1人のみでありバスク人の誇りは捨てていない。またスペインには「国王・王室」を意味する「レアル」の名称をもつクラブは6つあるが、1910年時の国王アルフォンソ13世により最初に「レアル」の名を与えられたクラブであり、日本で「レアル」といえばマドリーだが、スペインでは“ラ・レアル”ことレアル・ソシエダを指す。 この2クラブが揃って降格争いに巻き込まれていたのだから、メディアが注目しないはずがない。結局のところビルバオはホームで2対0とレバンテを下し残留を決め、アウェイでバレンシアと戦ったソシエダは3対3の引き分けに終わり40年ぶりの降格が決定した。純血を未だ貫くビルバオが残留し、外国人を抱えるソシエダが降格したのは皮肉な話だが、現在の潮流を見ればサッカー界に一石を投じる、アンチテーゼとして捉えることもできる。 バレンシアとの試合が引き分けに終わり降格が決まった瞬間、ソシエダの選手達はそのままピッチに倒れ込み大粒の涙を流した。もちろんアウェイまで駆けつけた多くのファンも泣いていた。だが最後まで残留を信じ戦い続けた選手に、ファンは最後まで声援を送り続けた。スタジアムを去り帰路に着くチームバスをあらん限りの声援で送り出した。確かに純血は破られた。だがレアル・ソシエダを愛する誇り、バスク人としての誇りは失われていなかった。 「我々には誇りがある。 1部に復帰するまで戦い続ける」 (ミケル・アロンソ:リバプール、シャビ・アロンソの兄) この誇りを胸に1シーズンで1部に帰ってくることを願うと同時に、来シーズンにバスク・ダービーが観れない悲しさを切なく思う。 ほな、また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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