じぶん
久しぶりに、読了しました~♪読んだのは内館牧子さんの『養老院より大学院』。もー、一ヶ月近く(以上かも☆)、ある「脳」の本を遅々として読み進めているのですが、たまたま、内館さんのトーク&サイン会に行ったために、この本を読み始めたら、それこそ「あっ!」という間に読み終わりました。何度も同じ行を読まなくても、するする読めることに大感激。(笑)こんっなに本って、読みやすいものだったのね~♪ま、それはさておき、この本はエッセイのような内容ですから、中には内館さんの考え方などが、でてきます。たとえば、彼女は「自然体は苦手」といいます。「武士は食わねど高楊枝」という姿勢が好きで自然体は性に合わないといいます。また、ボーっとしていることが苦痛だそうで、「空いた時間を、ぼんやり雲を眺めて過ごす」なんてことをした日には、胃に穴があくだろうと書いてあります。ご本人を直接は存じ上げませんが、内館さんらしい感じがします。(笑)ところでこういう、高楊枝なやせがまんや、せかせかした行動って、最近の風潮と違います。内館さんは「わたしはこういう性格だ」と書いてあるだけですが、いつも目にする情報と違う内容を見ると、「そっちが正しいのか!」と思ってしまうことってありませんか。また、生き方指南本のような本には、はっきりと、「本当は、こうこうこうが正しい!」と書いてあります。でもほーんとは、「どれが自分に合っているか」に尽きると、わたしは思います。1分1秒をコントロールすることに満足感を感じるのか、自然の中でゆったり空気に触れる時間が必要なのか、宝地図や手帳に夢を書き込むとうまくいくのか、たくさんの人と出会うと成長するのか、笑顔でいることに幸せを感じるのか………。わたしは、「多くの人は」というのはあるかもしれないけれど、最終的には「それは自分に合うか」、「自分はどうだろう?」と考えてみることだと思います。だから、気になるものはやってみる。いろいろな考え方を受け入れる、柔軟性は持っておきたい。でも、「こりゃ、続かん。」というものは、自分には合っていないのだろうと、思います。実はわたしは、オソロシイほど洗脳されやすい人間なんだ、ということに気づいたので、特にそう考えるようになりました。自分がうまくいったことを、情報として流してくれるのはとてもありがたいことです。そのたくさんの情報の、どれをどう取り込むかは、自分次第。そうやって、取り込んだりこなしたりして、「自分はこう。わたしの考え方はこう。」を表現できると、「じぶん」が据(す)わってくるように思います。と、言っているこれらも、もちろん『コウダの考え方』です。しかも、『いまのコウダの考え方』です。(笑)さーて、あなたはどう考えますか?…で、内館さんの本を読み終わって、「そっかー、大学院かぁー♪」なんて思っているあたり、すでに「自分に合っているか」よっく考えなくちゃ、ね!(苦笑)