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2006.07.29
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カテゴリ:南アフリカ旅行記

小雨の降る中、私達はロビンアイランド行きの船に乗った。
この日は海も荒れ気味だったせいか、船酔い客が続出していた。
乗客を見ると、ここでは黒人の数が多い事に気がついた。
これまで私が見てきた観光スポットは白人の方が目立っていた事を考えると、ちょっと不思議な感じがした。
話しかけてみたい衝動に駆られたが、いかんせん皆がそろって船酔いの状態を呈している為、ちょっと不可能だった。

ガイドブックの簡単な説明では、ロビンアイランドは1959年に開所され1991年に最後の政治犯が釈放される約30年間に述べ3000人の政治犯が収容されたとある。
刑務所の閉鎖が1996年で、現在は島全体が博物館となり、また1999年12月に南アフリカ初の文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されている。
もう少し詳しく調べてみると、この島が実は17世紀から流刑地として利用されてきた事がわかる。
インド洋と大西洋の海流がぶつかり合う事で知られるケープタウンの沖合いにあって、脱出が非常に困難であったことからアメリカの「アルカトラズ」や古くは日本の佐渡のような存在であったのかもしれない。
奴隷や犯罪者の流刑地として利用されていたこの島は19世紀前半には軍人や政治犯の収容地となり、19世紀後半より20世紀前半にかけてはらい病患者や精神障害者用の病院になったりもしている。
そして最もこの島を有名にしたのはネルソン・マンデラ元大統領をはじめとした、数多くの今日の南アフリカ政権を作る基盤となった人々の収監である。
1993年のアパルトヘイト全廃により1997年この島は一般公開されているが、この公開には「自由と人権」がメッセージとしてこめられているのだという。

独居房1

シャワー

独居房2

ガイドに付いたのは以前このロビンアイランドで政治犯として収容されていたという人物であった。
彼から聞いた話を少し記しておきたいと思う。
アパルトヘイト下で政治犯として収容されていたのは全て男性とされていたらしいが、実は女性の囚人もこの島にはいたのだという。
その女性の囚人から生まれた子供もいたという。
囚人が子供を生んでいたということは、今でも正式な記録として残されてはいないがそういう事実があったのだという話を聞いた。
また、手紙の検閲はほとんど収監された人々への信書の権利を剥奪するものだったらしい。
1日に2回の粗末な食事。
建物の外に出れるのは1日1回僅かな時間のみで、その時も政治犯は1人きりだったらしい。
話をする事がまず難しかった、という話だった。
その他にも、ただ意味も無く穴を掘る作業を延々と繰り返させられたり、不必要な暴行を受けたりといった事も話していた。
意味のない単純作業を強いられる事などは、精神的に相当な苦痛を要したという。

墓地

敷地内の見学中、まず施設について私が思ったことは意外に思われるかもしれないが、想像した以上の酷さではなかったということである。
確かに独居房は狭くトイレがバケツだったというのは酷いと思ったが、日本でも30年ほど前までの刑務所はこの程度だった。
私は以前北海道の網走刑務所を見学した事があるが、そこの旧建築物はこの島の施設に比べればはるかに酷かった。
そういう意味で、この時には私は施設設備の酷さについてはそれほど関心を抱けなかったというのが正直な感想である。
ただし、この島では囚人とされていた人々のほとんどが政治犯であった事を考えると思いは複雑にならざるを得ない。
政治犯という括りは犯罪者というものとは異質であるからだ。
ネルソン・マンデラ氏について言えば、彼は共産主義者として投獄された事実がある。
しかし彼が本当に共産主義者だったのかといえば、答えは否である。
当時のアパルトヘイトを推進していた政権下では無理やり理由付けをする事で政治犯という括りにしてしまい、この島をはじめとした監獄へ黒人の自由を訴える人々を片っ端から放り込んでいたらしい。
その何の罪も無い人々が刑務所へ収容されてしかも20年、30年という年月をその刑務所で無為に過ごさなければならなかった無念さは言語に絶するのではあるまいか。
無実の人々を長期間拘束し、時には殺す事さえあったという事実を私はこの島を訪れて非常に重く受け止めざるを得なかった。
わが身にこの出来事を置き換えたなら、私にはそのとき絶望しか浮かばないだろう。
しかし、この刑務所の中で信念を曲げることなく戦ってきた多くの黒人は現在その多くが政権を担っている。
現在の南アフリカについては数多くの問題点があることを理解しつつも、私はこの時彼らのそれまでの努力や忍耐に対し素直に賞賛を送りたい気持ちになった。


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最終更新日  2006.07.30 22:26:24
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