カテゴリ:その他
そろそろ退院して2ヶ月。
すなわち入院から3ヶ月。 嫉妬心の発生から4ヶ月。 三次元を意識してから半年が経とうとしてる。 せっかくの休日前夜。 たまには秋の夜風(…ちょっと生ぬるいけど)に吹かれて物思いにふけるのもいいかもしれない。 この半年、この時期から半年というと微妙に半端だが、 まぁ期間的には3月から9月。 実に色々なことがあった。 きっかけは本当に些細なことなのに、 それで命を失いかけすらした。 家族・友人・知人に多大な心配、迷惑をかけた。 その辺りは既に記述済みなので今回は省略させていただくとして、 じゃあ、仮復帰と銘打ってブログを再開して、 今の私は半年前とどう変わっただろう? いや、どこまで戻れただろう? いやいや、戻ったところから新たな一歩への踏み出しはどうなっているだろう? そんなことを考える。 ※書いた後、自分で読み直したがどうにもみっともなかったり、恥ずかしかったり、情けなかったり色々とアレなので以下の文章は背景色に溶かしてみた。 正直、冗談などではなく普段チラッとブログを見る程度の方はスルー推奨。 こういう細工をすると逆に“見てくれ”というオーラを出していそうにも見えるが(実際そういう手法として使っている人もいるだろう)、 私の場合はそうではなく本当にネガティブでつまらなかったり、アンチ、批判があったりして気分を害する人が出るかもしれないので溶かすだけ。 じゃあなんで書くのか? それは自分の足跡として書き残しておきたい気持ち半分。 ごく一部の大切な人には読んでもらいたい気持ち半分。 はい、では以下よりシークレット文。 退院して約2ヶ月。 体力、食欲、睡眠欲など、基本ステータスはだいぶ昔の自分に戻ってきた。 まだ診察、カウンセリングを受けて薬も飲んでいるが、 正直なところ、もう元の自分には9割以上戻っていると思う。 多分診察もカウンセリングも絶対必要というレベルからは脱せているはずだ。 ではなぜまだ通っているのか…? 上記で9割がた戻ったといってもまだ残った1割がある以上、恐怖が存在するから。 今まで1ヶ月以上我慢していたけど、今だけ、ここでだけ、再度書いてしまう。 やっぱり…そう簡単には幸せだったあの時間の記憶は消えない。 もちろん薄れている実感はある。 時間のおかげもあるし、それ以上に…あの時以上に幸せになれそうな存在が見つけられたから。 でもそれはまだ未完成。 時にはすれ違い、上手くいかないときもある。 特定のキーワードや場面に出くわせばあの時の記憶が頭をよぎるし、 新しい幸せの種だって全てが私の都合通りになってはくれない。 当然だ。相手も自分と同じ人間なのだから。 これが恐怖の1割。 これを乗り越えられないから診察、カウンセリングが終わらない。 即ち、完全復帰にならない。 そして、そう思っている限り新たな一歩は踏み出せない。 踏み出せないことへの不安、焦りは恐怖となってすれ違いを大きくさせる。 悪循環というやつだ。 困ったものである。 具体例にしてみる。 半年前、目指していた資格の取得試験まで後1ヶ月。 勉強の進み具合→試験範囲の6割弱。→無理。 まぁ実践テストと開き直って試験は受けるが、早いところやる気を出さないと 来年も落としかねない。 もう一例。 異性の友人ができた。 彼女は自分が鬱病の時からこちらの愚痴なのかなんなのかよくわからないメールに対しても 優しく丁寧に、確実に返信をくれた。 入院時も返信できないにも関わらずメールを送り続けてくれた。 時には可愛い画像も貼り付けて、回復を祈ってくれていた。 退院後、多少時間はかかったけど会うことができた。 自分の思っていた通りの優しい人でとても嬉しかった。 あまり独りで表に出る機会が少なかった子なのか、過度の緊張もあって、会話こそあまりできなかったけれど、それでも以前のネット上だけの出会いとは違い、 まだ彼氏彼女の付き合いというわけではないけれど、 異性とのリアル交流はできたわけだ。 そして偽りの幸せ時期のように1日何往復もメールをし、時間が空けばメッセ。 休日が合えば会う約束…これはこちらの都合もあってなかなか上手くいかないんだけど。 偽りの時期にはなかった幸せをつかめそうではあった。 でも、ついさっきそれをふいにしかけた。 1割の恐怖? …違う。 ただ成長していない自分の心のわがまま。 そんな自分がまた嫌いになって、イライラして、 何も悪くない彼女の悪態ついて… 絵に描いたようなネガティブ人間の自爆。 今、自分が一番嫌いだった人種になってる。 こうはなるまいと思っていた人間像になっている。 このままその彼女との関係をまた潰して、鬱になって… 同じ過ちを繰り返す? 否。 携帯電話のシークレットフォルダ内にある保護された1通のメールを見直す。 オレの周りには暖かい味方がいっぱいいる。 この半年、辛い事が多かった。 でもそれは絶対に糧にできる。辛かった、悲しかったけどそれは絶対に無駄だったわけじゃない。 厳しかったからこそ得られたものがあるはずだ。 今はそれがわかる。 だから同じ過ちは繰り返さない。 次の診察、カウンセリングでその必要性、必要期間について自分から話を持ちだそうと思う。 そして勉強。もう次の試験には手遅れかもしれない。 でも悪あがきはできる。 人生1回限りの試験じゃない。次の糧になるように、貴重な経過、実りを得るための通過点にしてやる! 最後に、もうこんな時間になってしまったから明日になってしまうけど、 傷つけてしまったあの人に、自分にとって大切なあの人にきちんと謝ろう。 そして、明日からまた前を見て一歩ずつ歩いていこう! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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