ちょいと北西に出掛けていました。
森の中の施設にお籠り、滞在者は私たちだけなのでノ~ンビリするはずがつい出かけてしまうかや家一行・・・
室生犀星(1889~1962)の別荘が記念館になっていて見学できると幼馴染に教えてもらって行ってみました。苔の奇麗な小さなお庭、客室用の離れのある、こじんまりした夏の家、昭和3年から亡くなる前年36年、まで滞在したそうです。よくある紅葉が何本かあってそれに添えるように羽団扇楓(ハウチハカエデ)が植えられていました。犀星が好きで植えさせたまあるい団扇の様で浅めの切れ込みが11程あります、よくある紅葉は7つ程。落ち葉が大変だろうなぁと見上げていると樋には金網のようなものが設置されていて係の方に『良いですね!』というと笑って「これが失敗だったんです。紅葉は防げるんですがこの辺りに多いカラマツは入り込んで詰まるんです。掃除ができないのでカラマツが落葉する頃は金網を外すんですよ。」なるほどね~でもかや家の駐車場の屋根の樋には応用できそう。
パンフレットを読みますと犀星さん女中さんとの間に金沢に生まれ、養子に出され、高等小学校を中退させられ、裁判所に勤め、二十歳ごろ志を立て上京、なかなかの苦労をしたのですね。今のようには図書館もテレビもネットもなかった時代、ヒットするとたくさん本が売れて別荘が持てたのだなあなんて文学とは無縁で作品は読んだことがないかや母は下世話なことを思ったのでした。図書館で何か借りてみましょう。
見学者が途切れて暇になった係の方に執筆はどこで?と尋ねるといろいろお話してくれました。娘さんが出戻ってきて執筆部屋を明け渡すことになり狭い暗いとの不満に1畳分広げて窓も付けてあげたこととか五右衛門風呂や台所は竈だったのにプロパンガスを入れてお風呂も普通のにしてしまったので(風情が無くなって?)それらは公開していないのだそうです。不便だものそれはしょうがないですよね。
鬼押し出しにも行ってみました。1783年天明3年は3月に岩木山、浅間山は4月頃より噴火が始まり大爆発が7月。同年6月はアイスランドのラキ火山、グリムスヴォトン火山が爆発して北半球は影響を受けたとのこと、これらが天明の大飢饉の要因にもなったらしいです。
ずいぶん昔会社勤めの頃、課の旅行で行ったことがあったと思います。岩がごつごつと広がっていて火山の爆発の激しさに驚かされましたが、今回は岩の間にまだ小さいけれど木々が茂り草が生え緑が広がって少し優しい感じになっていました。
50年近くもの歳月がたっているのですものねぇ、岩の間にはわずかな隙間に芽生えた小さな木が育っていました。中にはダメになる幼い木もあるでしょうが、少しづつ広がって、そのうちには立派な森になるのでしょう。
かや2娘が「しまった!の松」と名付けた、岩のてっぺんのわずかに平らな場所に育ったかや母の二の腕(太いよ)ほどの幹の松、もっと条件の良い場所に種が落ちればよかったのに、芽生えてからしまった~~と思ったに違いないと話したことでした(笑)
ホタルブクロや萩が咲き、ナナカマドやハゼ(漆?)が紅葉し始めていて秋の風情も、雨が降ったり日が差したりで大きな大きな虹まで現れてくれました。
水が豊かだからゆっくりでも森が再生するのでしょう。こういう環境にある民と砂漠の民とでは気質もおのずと違ってくるのは致し方ないかと思ったことでした。