ご無沙汰しちゃいました。
ただ今学童は過酷な春休み期間です。もう更新する間もなく、忙しい日々が過ぎて行ってます。
今日は中学校も小学校も退任式でした。
小学校は、もう息子がいたころの先生はほとんどいらっしゃらないな~。
でも、学童でお世話になった先生がたくさんいるので、ちょっと、ごあいさつに。
今日は13時半までの勤務にしてもらい、そのまま2時からの中学校退任式に出席。
中学校は、3年間拓哉の担任をしてくださったN先生が転出されるのは、
本校7年という勤続年数から、もううすうすわかってはいた事実で心構えもしていたのですが、
やっぱり泣いてしまいました。
ゆうべ、拓哉が先生にお手紙を書いていました。
何枚にも亘る長い手紙でした。
文脈が変とか誤字脱字とかない?って言うので見てあげたら、
素晴しい内容。
文章が上手とかじゃなくて、先生との絆がしっかり見える内容が・・・です
3年間、学校生活で精いっぱい頑張れたのは先生の支えがあったからということ。
叱ってくださったのも励ましてくださったのも褒めてくださったのもすべて自分の力になっているということ。
先生から受け取ったすべてを、これから自分の中で噛み砕いて自分のものとし、また人にも伝えていかなければならないと感じていること。
すべては先生への感謝でつづられていました。
先生のことを、「第二の母」とまで慕っていました。
その母との別れは、拓哉にとってどれだけ寂しいか・・・。
も~、実の母は、軽い嫉妬さえ覚えるくらい(笑)
本当に素敵な先生でした。
熱血先生っていうのは、こんな先生をいうのでしょう。
忙しい仕事の合間を縫って、何度も東北の復興ボランティアにも出かけられています。
そこで知り合った現地ボランティアの方とのご縁と絆を子どもたちにも分けてくださいました。
子どもたちの入試を応援するために、人生初のマラソンで10kmに挑戦し完走されました。
卒業式の日には、子どもの名前の意味を先生なりにとらえたメッセージを書き、一人ひとりに言葉をかけながら渡してくださいました。
拓哉には、「おそらくこの3年間で私に一番叱られたのは拓哉です。
突き放しても突き放しても、自分が今何をやれるかを自分で考え、懸命についてきてくれました。
こんな拓哉だから、私は拓哉にクラスを任せることができました。ありがとう。
あなたの抱いている夢は、あまりにも大きく、かなえるには険しい道だけど、あなたならやれる。応援しています。」
と言葉をかけてくださいました。
拓哉はしばらく涙なみだで、ハンカチをぐしょぐしょにしていました。
そして、ほかのクラスの最後のホームルームより2時間近くもオーバーして、さようならの時、
「お母さん、お父さん、こんないい子たちに育ててくださってありがとうございます。
ホントはみんな家に帰したくない」
と言ってくださったんです。
なんと最高の褒め言葉でしょう。本当にわが子のように愛してくださってたんだなあって、もう涙が止まりませんでした。
先生が1年間3-1で提唱して来た「きずなプロジェクト」
拓哉は、先生がおっしゃる「ひとりひとりが美しい」を
頑張って実践してきた一人だと思います。
拓哉は、3年間、きちんと生活の記録と日記をつけていました。
それには毎日先生がたくさんのお返事をくださり、それはもう、さながら交換日記のようでした(笑)
先生の言葉と魂の詰まったそのノートは、拓哉の一生のたからものとなるはずです。
先生!、拓哉はきっと夢を叶えて、恩師として登場してもらいますからね!楽しみにしていてください。
お互い、いつまでも若々しくいましょう!