将来の夢
黒 です。私は、今日は、マジに、冗談の一つも言うことが出来ない。最近、私の業界で良くある、モチベーション低下の著しい経営者と対面する度悲しくなる。経営が苦しい。本当に行き詰まる位苦しい人も多い。それがもたらしたのは社会情勢と政治だから、どうにも個人で出来ない。その気持ちは解るが流動資産の獲得、短期的現金のため、真に利益を生む固定資産への積み立てを全く無くするか、激減させるのはいかほどなのかと思う。日本人は、経営学を知らなすぎる。長期的展望を作ることを知らない政治家がたむろする。そして、国家的財政上の国家展望は全くない。って、事は、未来をどう作っていくかってビジョンが無いって事だ。しかし、これは、もしかしたら教育の問題なのかもしれないとまで最近思ってきた。お金を知らなすぎている。必ず未来、回収できるもので、未来が見えないものには投資額は低く、今現状高いものに対してはリスクをいとわず投資する。投げて良い金なんて無くても。それ、博打。私の、考えは違うんだ。経営の屋台骨がしっかりしていなければ、他事業に手を出しても上手く行かないかもしれない。屋台骨が折れていないこの時こそ、どうするか?未来を決定して行くべきだから。今日は、マジに考えた。一瞬、あるクライアントと過ごしてイヤな予感がよぎったのだ。屋台骨の何かがおかしい。私の感というものは、イヤな予感であればあるほど大筋から外れない。物事が、おかしくなってくる時って何か必ず背景にあるものだ。変化は、あまりにも小さく日常に飲み込まれてしまうため、当事者には気がつき難い。そうして、異常であることがあたかも当たり前であったかの様に定着する。そうなると、益々異常に気がつきにくくなる。そうして、いつの間にか経営が破綻する・・・しかし、そのシナリオを断ち切るのは、実は容易なことではなかったりする。経営者のモチベーションが全てだし、とにかく動的に行動を起こしてくれないと元の状態に戻る事が益々困難になる。また、動的行動を起こしたとしても、それが、全く的外れであったとしたら、益々深いドツボにはまるし、更なるモチベーションの低下と経営困難を引き起こしかねない。この連鎖が、実は最も怖い。人間は、行き詰まってくれば来るほどに、何故だか知らないが人の話が素直に聞けなくなる。自分にとって都合の良い人間の言葉だけが耳に入る。おまけに、大きな目線で物事を見回す事が困難になり、目先の事にばかり気をとられる。目先でちゃっちゃと儲けようと思うことも悪いことでは無いが、目先に小さな利益を生むもの、しかも長い年月その利益を生かせないものについての過剰な投資、つまり、くず鉄が高く売れるからと言って、建物の屋根を支える重量鉄骨を薄く削って売る為の機材を買う的な資産を本質的にはすり減らしてしまう投資や、工場の新品の機械をあつらえる代わりにガタガタの中古品を安く買い、長く持たせようと莫大な修理費を掛けて結局駄目にする可能性を秘める危険な投資は経営の中での遊びの一環として扱っていた方が無難に行く。どちらにも共通するのは、短期的、且つ速攻的な現金回収だが、その現金をどう使って行く目的で将来どのようにするために何時使うのか?本当はその事だけが重要だったりするが、一般的に、短期間、現金に酔うだけ、と言うのを目の当たりにすることが多い。将来というのは掴みようのない雲のようなもので、確実性が無いからこそ、見えにくい。しかし、経営目的と目標は、そうではおかしいと思う。経営者は、世に恥じぬ状況で広いビジョンの上に立つべきだ。屋台骨を急速に失速させるような単なる現金の短期回収は、絶対未来になにも残さない。情勢はいつでも代わり得る。けど、産業の主幹は代わらない。代わるときは、滅びるときだ。滅びには巻き込まれない方が良いが、経済力と技術力=人で残れれば、オンリーワンになれるチャンスかもしれない。その時こそが、本当に何をして生きていくかを考えるチャンスかもしれない。手近に現金をちらつかせて、なんとか中小企業の口封じをしようとしてる行政は未来に何をみているのだろうか?