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2030年 日本 「不安」の論点。 昨年、2010年12月、産経新聞の長期連載を書籍化したもの。 20年というのはちょうどよい時間の区切り方だと思う。 10年では短かすぎるし、30年では長すぎる。 今から20年前といえば、日本がバブル崩壊を実感し始めた頃だ。 この間、日本は、「失われた10年」といい、「失われた20年」といってきた。 20年前と比べてGDPは拡大しているが、生活実感としては縮小している。 2011年4月1日現在の日本は、なにか、「極まった=窮まった」感が強い。 なにか漠とした不安のなかにある。 失われた20年は、一昨年夏の政権交代で好転すかの期待をもたせたが、 期待外れのあと、このたびの「東日本大震災」で極まり感が濃厚になった。 20年後、 あなたの働く場所はありそうですか!? あなたの故郷はありそうですか!? あなたの家族は身近にいそうですか!? あなたの住む場所はありそうですか!? あなたの国日本は存在していそうですか!? なかなか、明快に答えられない質問ばかりだ。 悲観的になっているのではなく、はっきりいって、答えられないのだ。 22歳になる息子やその友人たちに問われて、答えにつまってしまう。 ・・・・・・・・・・ このごろ、昭和50年=1975年を懐かしく思い出すことが多い。 私が故郷の与論島を出て上京した年だ。 思えば、実に、よい時代を、「同時代人」として生きられたと思う。 日本経済の成長拡大の果実を享受しながら結婚し3人の子どもに恵まれた。 その3人の子らや孫娘らの将来を、20年後さえも思い描けない。 20年前は、つい、この前のように感ずるのに、20年後は杳として分からない。 いつの時代も、時代は、「激動の時代」ではあるにちがいないが・・・・・・・。 今日も送られてきた孫娘らの写メールを見ながら、ジイは心が泡立つ思いだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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