犬は孤高孤独の加齢者には唯一無二の癒しの生き物🐕パピヨンのパロはわが余生の最高の伴侶🥰
犬が大好きなので、いつも犬が身近にいる。思い起こせば、我が長い生涯の中で付き合った犬の数は多い。現在のパピヨンのパロで8代目だ。パピヨンとしては4代目だ。子供たちが独立して一人暮らしになってからは愛犬は唯一無二のパートナーだ。掛け替えのない伴侶だ。😥 7代目の愛犬が熱中症で急死したときは天災地変があったかのように気が動転した。悲嘆のどん底に落ちた。下段にその悲しみを詳記した随想がある。その悲嘆に耐えながらパソコンで日本全国から先代に容姿が酷似したパピヨンを探した。先代のパピヨンのパロは東京生まれだが、二代目のパロは新潟生まれだ。ブログ「愛犬問題」の主人公として二代目のパロを紹介したら、ブログの愛読者から次のような投稿があった。犬を飼うにはその世話にそれ相当の手間暇がかかる。なのに、高齢の身で幼犬を迎えるということは“ご健康にそれ相当のご自信”があるのでしょうね。と、感心したような投稿があった。それから5年半が経つ。人間でいえば、パロは35才くらいだ。元気溌剌だ。🥰 パロの飼い主も元気溌剌だ。歯医者以外は病院に掛かったことがない。後期高齢者の無料の健康診断さえ全く受けていない。なぜ健診を受けないのかとの問い合わせがくる。「受診の必要を感じてないから」と回答している。母が享年108才だったので、まだ20年くらいは生きられそうだ。「やまいは気から」という。風邪さえ20~30年もかかった記憶がない。だから、病気にかかるわけがない。ただし、十分な睡眠と栄養には気を配っている。 なぜ犬を飼うのか。犬を飼ったことのない人や特に犬嫌いの人には理解しにくい面もあるだろうから、そのことについて書く。歴史上、犬が飼われた理由を大別すると二つある。番犬などを含めた使役犬とかわいがって喜ぶための愛玩犬だ。パピヨンは使役犬として飼われた歴史はない。もっぱら愛玩犬として飼われてきた。フランス革命で断頭台の露として消えたマリーアントワネットが大のパピヨン愛好者であったことは広く知られている。欧州の宮廷での愛玩犬だったのだ。だから、パピヨンは気位が高い。言い換えると、しつけを緩やかにすると、主従関係が逆転しかねない犬種だ。賢い犬種なので、しっかり躾をすると共に楽しく暮らせる。🐕 現在の日本では犬は愛玩犬として飼われている。飼い主とその愛犬がともに心をいやし癒されて楽しく暮らせる。飼い主にとってもその愛犬にとっても互いに良きパートナーだ。生涯の伴侶だ。犬好きな人は、愛犬をそっとなでるだけでも心の奥から幸せな気分が湧いてくる。幸せをもたらすホルモンであるセロトニンが自然に分泌されるからだ。愛犬をなでる必要もない。愛犬の寝姿を見ているだけでも幸せな気分になる。至福な暮らしだ。世の中の煩わしいことにはかかわりのない穏やかな暮らしができる。 確かに犬を飼うには手間暇がかかる。手作り食事、トイレの始末、物を散らかしたり、かじって傷をつけたりもする。それらの犬の行動をすべて受け入れる心構えが大切だ。それらの行動を“愛犬が生きている証拠”だと受け入れる心のゆとりがあると良い。 その上に動物病院の治療費は高額だ。開腹手術が必要な場合は、幼犬の購入費用の何倍もかかることがある。なお、パロはすべてのワクチン接種とフィラリア薬のお世話にはなってない。避妊去勢手術はもってのほかだ。ホルモンバランスを狂わし、諸病を誘発する。つまり、過剰診療は金銭の問題ではなく、愛犬の健康と命の問題だ。 犬がいないと心が落ち着かない。愛犬が行方不明になると天変地異でもあったかのように心が乱れる。見つかるまでは何事もする気になれない。まさに「心ここにあらざれば見れども見えず」の心境になる。大急ぎで交番に出かけて「遺失物届け」を出す。(日本の法律では犬は「物」扱い。)しかし、ありがたいことに実際は近隣のご協力で解決することがほとんどだ。パロは人好きで誰とでも喜んで遊ぶので、最初に見つけた人がご自宅に保護していることが多い。 関連随想集 今年の夏も愛犬の熱中症に細心の注意が不可欠だ。 熱中症は怖い!30分で急死 その7編の随想集 パピヨンの良さ その随想集 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など