【真実の歴史、『愛夢舎ヒストリー』はこちらから】
【こちら】の記事のつづきです。
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さっきの記事で、
「観てほしいのは
『どこそこ高校合格』ではなく、
彼らの『物語=ストーリー』だ」
と書きました。
そこで、ひとつ、
こんなハナシはどうでしょう?
「彼」は、中学2年の夏に愛夢舎に入ってきました。
学校の成績は、オール3。
「4」がひとつあったけど、逆に「2」もあった。
11月に受けた塾内模試では、偏差値42。
1月の模試でも、偏差値41。
お世辞にも、「できる子」ではない。
ところが「彼」には、プライドと「志望校」があった。
「彼」の志望校は、偏差値66。
内申はほとんど影響しない学校だけど、
「オール5だったら、すこしオマケするよ」という高校。
最難関のひとつと言ってよいだろう。
なんとも、まあ、
分不相応というか、無謀というか・・・
そう、誰もが思っていただろう。
でも、「無謀でもなんでもない」と
信じて疑わない人がひとり。
「彼」自身であった。
学校の定期テストで
5教科300点前後しかとれなかった「彼」は、
「5教科400点以上」を在籍めやすとする「選抜クラス」に
なんとしても入りたかった。
入塾して間もなく、
前回のテストを70点も上回る成績を取って、
400点に近づいた。
志望校も高かったから、「選抜入り」はしたものの、
3年生になってからの結果によって
選抜から「転落」した。
「塾長、そこをなんとか・・・」と願い出たものの、
「なんともならないよ」とはねつけられ、
一般クラスで力を蓄える。
ちなみに、ウチの一般クラスも、
偏差値60以上の高校に何人も合格者を出しているので、
そこからだって、上位校を狙えなくもない。
でもなぜか「彼」は、「選抜」であることにこだわった。
やがて「彼」は、「選抜」に戻ることを許されたものの、
北辰テストでは偏差値50台。
中堅高校なら充分ねらえるけど、
彼の志望校は、それでも偏差値66。
いいかげん、これは難しいのではないか?
9月の北辰でも50台。
10月は、ギリギリ60を超えた程度。
11月でも結果を出せなければ、
その瞬間、「彼」の受験は
「無謀な挑戦」になってしまう。
実際「彼」は
「これは『背水の陣』。これでダメなら、あきらめる」
と決意を固め、
受験会場に挑む。
11月の結果。
偏差値66.5。
数学に至っては
偏差値70オーバー
これには、こっちが鳥肌が立ちました
おそらく、「彼」は、
1年生のときも2年生のときも、
「勉強ができない子」と思われていたことでしょう。
でも、たったひとり、
彼自身は、オレにはできると思っていた。
たぶん、第一志望校はあきらめろと、
何度となく言われたことでしょう。
っていうか、その高校からもダメ出しされたし...。
でも彼だけは
「いや、オレはこの高校に行くんだ、
行くに決まってる。」って信じて疑わず。
いや、もちろん、受験のときは
不安でいっぱいだったけどね
さきほどお母様がお見えになって、
結果が出るまでの1週間は
本人は非常にイライラしていた、と。
そりゃそうだろう。
というわけで、
「彼」は
「当時の彼」にとっては分不相応な
「第一志望 最難関校」に進学していきます
でね、そういうと、
「そんなムリして入った学校だと、
ついていけなくて、
結局イヤになっちゃうんじゃないの?」
と言う人もいる。
でも、それは必ずしもそうと言い切れない
だって、合格した以上、
もはや「彼」は、
「当時の彼」ではないからね。
・・・というような「物語」が
ひとつひとつの受験に備わっています。
「合格実績」に隠れた「物語」、
できるかぎり、多くの人に知ってほしいなぁ、
と思います。
kama