|
テーマ:博物館・資料館めぐり(142)
カテゴリ:カメラ画像入り確定レポート
さて、今回も石川県立航空プラザの続きです。石川県立航空プラザは今回でお終いにします。今回ご紹介する機材は、T-2超音速高等練習機であります。三菱重工業の作品で、国産初の超音速機でありました。ユーザーはもちろん、我が国航空自衛隊でございました。 この機材の発展形がF1支援戦闘機でありました。T-2は全機退役済みです、F1支援戦闘機も昨年全機退役となっております。それにしても支援戦闘機とは変な呼称を考えたものでございます。外国製であれば戦闘爆撃機と呼ばれる分類でありました。 このT-2高等練習機(この分類も消滅しているそうです、現在は普通の戦闘機の複座仕様機を用いて高等訓練をやっているそうな)はブルーインパルスで使用されたことでも有名でございました。 排気口から首を突っ込んで撮影してみました。やっぱ、エンジンによって排気ノズルの形状は随分違うものでございます。(ピクルスコ)さんから「ココの博物館は展示物の周辺に柵などが無いのですね? 触れるように見ることが出来てイイ環境ですね。(2007/10/18 12:26:59 AM)」とコメント頂きました。ご指摘のとおりです。排気口に首を突っ込める環境なのです。 二階は普通の博物館の展示場みたいな感じになっておりました。 大量の航空機の模型が展示されていましたけど、やはり模型です。実機と違って余り関心を持てませんでした。 模型は模型でも、これは実物大です。「玉虫型飛行器」であります。明治時代(人類最初の動力飛行はアメリカのライト兄弟であり1909年です、明治中期はまだ誰も動力飛行をしたことが無い状態でした)に動力飛行を計画した人がいました。その名を二宮忠八と言いました。人力飛行機なので、実際に飛べたかどうかは分かりません。二宮はライト兄弟の動力飛行成功のニュースを聞いて、飛行機開発を取りやめてしまったそうです。言わば、ライト兄弟になり損ねた日本人だった訳です。 帝国海軍小松基地だった時代の遺物の展示コーナーです。帝国海軍は飛行場の位置の決定は上手だったようです。割と気象条件の良い場所を確実に飛行場として確保して行きましたので、現在は大空港に発展しているケースがたくさんあります。小松もその一つですね。戦後に適当に立地を決めた空港は霧などの希少に悩まされるケースが結構ございますね。某東北のA空港とか、某九州のK空港とか、某関東のN空港とか…。やたらと値の張る誘導装置を装備している空港は、大抵、気象条件が悪いと言う訳です。まあ、誘導装置を使えば、ちゃんと離着陸できるので、問題はありませんけど。 以上で、石川県立航空プラザの見学を終えました。小松空港から歩いて直ぐです。入場無料でございます。小松空港にお出での際は是非お立ち寄りください。お勧めです。 何故か、航空プラザの駐車場に停まっていた、活魚ならぬ活蟹運搬車でございます。蟹をよく食べる石川県らしい自動車です。 小松空港の駐車場に設置されていたモニュメントです。多分、勧進帳のシーンを再現したものだと思います。可能有名な、勧進帳の関所越えは石川県内で実際にあった話と言われております。 小松空港のターミナルでございます。最近の空港ターミナルは関西空港の亜流のガラス張りが多くなっておりますが、このような、昔風のターミナルの方が落ち着きます。 小松空港のシンボルマークの「こまQ」だそうです。小松空港の3レターはKMQです。これから名前を採ったのかしら…。 こんな感じで、小松見物を終えて、北陸本線の小松駅に戻ったのでございました。この後は、「北陸フリーきっぷ」の乗り放題区間を乗っておこうと、意味も無く、七尾線を北上し、のと鉄道に入り、和倉温泉まで行ってから金沢に戻ったのでございます(時間の計算を誤って、百万石パレードの撮影位置の確保に失敗しました、涙)。次回は、能登半島行っただけ、の部分をご紹介いたします。 【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL) ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。 過去の旅行先の一覧はこちらに! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[カメラ画像入り確定レポート] カテゴリの最新記事
|