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カテゴリ:映画
映画「生きる」の英国リメイク版を見た。
こうしたリメイク版というものは原作から大きな改変が加えられているのが普通であるが、驚くほど原作通りであった。妻の葬儀や息子の子供時代の回想場面、小説家との出会いや生命力にあふれた若い女子職員との交流、そして最後のブランコの場面まで。たしかに、舞台を日本から、ほぼ同時代の英国に移したというだけで大きな変化なのだから、これ以上変える必要はないのかもしれない。 ただ、オリジナル版では医師は明確な宣告をせず、主人公が察するという形になっているが、こちらでは医師ははっきりと余命宣告を行う。これは当時の国情の違いなのだが、いつのまにか、日本でもこういう方式が普通になっている。 脚本はカズオイシグロだが、彼の小説同様に、映画でも古き良き時代の英国が描かれ、場面や音楽の一つ一つが美しく郷愁をさそう。そしてブランコに乗って主人公が歌う「ナナカマドの歌」(Rowan tree)であるが、子供時代の想い出を詠う歌詞がそのまま多くの人々の想い出となっていく児童公園のイメージにも重なる。 人生は有限だから「生きる」ことができる。たとえ余命宣告がなかったとしても、有限であることには変わりない。 THE BOOMの「いつもと違う場所に」(宮沢和史作詞)にこんな一節があり、これは「生きる」にも通じるように思う。 もしあと1年の命だと言われたら がむしゃらに生きるだろう? そんな気持ちで生きてみるべきだと手塚は言う 無駄な日なんて1日も無い よぉ ボウズ!
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ズオ·イシグロ脚本の「生きる」は私は4.5に封切り時に観て感銘を受けたが、一か月もたたない今、この映画の場面は殆ど思い起こす事はできずに忘れている。
されど今から50年ほど前にみた志村喬主演の「生きる」は細部に至るまで今も明確に思い出すことができる。 50年前を鮮明に想起できるが半月前を忘れるとは我ながら些かの高齢化を感じるが、これは誰しも止むを得ないことだろう。 生きるとは「自分が心から納得がいく、やりたいことをやるために発言し、行動する」という事だろう。 そして「人生の歓びは、人に尽くされるより、乃ち人に施されるより、人に施す、人に尽くす方が大きくなる」と言えるでしょう。 (2023年04月27日 12時47分07秒)
·曙光さんへ
聖書には「与えられるよ与える方が幸せ」という言葉があると言います。 能力でも富でも多く与えられた者は与える側に立つべきであるという慈善や喜捨の発想にも通じるのかもしれませんが至言でしょう。 (2023年04月27日 15時21分34秒)
>能力でも富でも多く与えられた者は与える側に立つべきであるという慈善や喜捨の発想にも通じるのかもしれませんが至言でしょう。
至言とは有り難き言葉ですが、追補させて戴ければ、私の思いは能力も富も何もないが故に、自分の側ではなく、人の側に立ちたいとの思いです。 (2023年04月27日 23時00分50秒)
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