より良い明日をめざして

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法 前文)



この写真は、何年か前に仕事でポルトガルへ行ったときにおみやげに買ったワインです。リスボンのワインショップには、こういうボトルが何十本も陳列されていて、大変珍しく思いました。真っ黒なビンにはコルクを封印するシールが貼られているだけで、ビンの中央の年数がその年に獲れたブドウを使ったことを示すようです。どのワインショップにもこういうデザインのワインしかなくて、不思議に思いました。それから、リスボンの人々は町の名前を「リズボア」と発音しているのが印象的でした。

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2018年02月23日
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テーマ:本日の1冊
カテゴリ:読書
文芸評論家の斎藤美奈子氏が筑摩書房から出した「学校が教えない本当の政治の話」(ちくまプライマリー新書)では、国家権力と国民の権利について、次のように説明している;


◆国と住民の対立はよく起こる

 成田、諌早湾、辺野古と、3つの例を見ましたが、大型公共事業にともなう国と住民の対立は、どんな場所でも大なり小なり起こります。ゴミ処理場、葬儀場、県道など、相手が地方自治体の場合でも、構図は同じです。

 もちろん、ひとつひとつケースはちがっているので、一概にどちらの言い分か正しいとはいえません。また、こうした住民運動は、個別の案件についての争いですから、反対運動に参加している人はみんな反体制派である、ともいえません(国の対応があまりにひどいと、反体制派になっちゃう人もいますけど)。

 では、ここであらためで質問です。

 大型公共事業と住民運動の対立を目にしたとき、あなたはどちらにつくか。国側と住民側のどちらに肩入れしたくなりますか。

 なんかよくわかんねーし、自分には関係ねーし、どっちでもいいや、って?

 ダメです。どっちでもいいは許されません。何度もいいますが、政治に「中立」はないのです。どちらかに決めてください。

 よろしいですか。では、診断です。

 どちらかといえば国側を支持するという人は「全体の利益のためには、ある程度個人が犠牲になるのは仕方がない」という考え方ですから、「国益優先派」。住民側を支持するという人は「いくら全休にとって有益な事業でも、個人の生活を犠牲にしたらダメだろ」という考え方ですから、「人権優先派」です。





 そして、もうすこし強めの表現を使いますと、「国益優先派」と「人権優先派」には、すでにちゃんとした名前もついているのです。

 国益優先派は「全体主義」。人権優先派は「個人主義」です。

 とかいうと、「ちがう」といわれるかもしれません。でも、これはほんとの話。辞書を引いてみてください。全体主義と個人主義は「反対語」として載っていますから。

◆国益優先は全体主義、人権優先は個人主義

 「個人主義」というと、自分の利益だけを追求する利己主義者、みたいですが、それはまちがい。「個人主義」と「利己主義」は別ものです。

 個人主義とは、ヨーロッパのルネサンスや宗教改革の時代(6世紀ですから、ずいぶん古い話です)に意識されるようになり、近代市民社会の根幹となった思想。個人の自由と権利がいちばん大事だ!という考え方です。

 一方、「全体主義」は、「個人の自由や権利? そんなものは後回しだよ、後回し」という考え方です。個人個人の暮らしより、国家とか民族とかの「全体」の利益を優先させるので「全体」主義と呼ぶのです。

 国家とは何かということについても、個人主義者と全体主義者の考えはちがいます。

 個人主義者はいいます。国よりも民族よりも、大切なのは個人の自由と権利なんだよ。国家は個人を幸福にするためにあるんだよ。

 全休主義者はいいます。バ力だな。国家のおかけで国民があるんだろ。そんなに国家が嫌いなら、国を出ていきゃいいじゃないか。国籍なしで暮らせるのかよ。

 さて、あなたはどちらの考え方に近いでしょう。

 と、いちおう質問してみましたが、この問いの答えはほんとはとっくに出ています。国家と個人のどちらが大切かという問いの答えも、だから決まっているのです。

 国益より人権のほうが上。国家より個人のほうが大切。

 これが近代国家の原則であり、国際社会の常識なのです。

 では、「全体主義」とは何だったのかというと、戦時中の日本、ヒトラー政権下のナチスドイツ、ムッソリーニ政権下のイタリア、スターリン政権下の旧ソ連などがこれに該当します。つまり、全体主義は化石みたいな思想なのです。

 ですので「やっぱ、国があっての国民じやん? 国民は国に従うべきじやねーの?」なんていうことをいう人がいたら、あきれてもいいのです。


斎藤美奈子著「学校が教えないほんとうの政治の話」(筑摩書房 ちくまプライマリー新書)の132~135ページを引用

 日本人が国民主権の憲法の下で暮らすようになって72年も経つのに、未だに「国家のおかげで国民がある」などと言う人がいるというのは、民主主義の普及という事業の困難さを表しているのかも知れません。しかも、国民の一部に全体主義の呪縛から解放されていない人たちがいるという程度ならまだしも、そういう人たちが与党の主流派になって「国民の権利を法律で制限する」ことが可能な憲法に変えようとしているのですから、事態は深刻と言っていいのではないかと思います。斎藤氏の著作が多くの若者に読まれるように希望します。






最終更新日  2018年02月23日 20時24分09秒
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