より良い明日をめざして

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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法 前文)
2022年05月28日
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テーマ:ニュース
カテゴリ:ニュース
ウクライナの紛争に関連して、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は7日の同紙に、次のように書いている;


 勝海舟晩年の時局談話集「氷川清話」に幕末、帝政ロシアが武力で対馬を占領しかけた事件を外交で解決した回顧談が出てくる。

 朝鮮半島と九州、日本海と東シナ海を結ぶ要衝・対馬は、西欧列強から日本進出の足がかりに虎視耽々(たんたん)と狙われていた。桜田門外の変の翌年、ロシアの軍艦が修理を口実に対馬の湾に居座った。測量し、小屋を建て、土地の者に乱暴し、退去を迫ると開き直る。「事実上占領されたも同然」(海舟談)となった。

 クリミア戦争でロシアが英仏などに敗れて間もない頃。幕府の外交官たちは半年後、巧みな外交術で対抗勢力の英軍艦を現地に向かわせ、ロシア艦撤退に成功する。幕末の対馬は、第二のクリミア半島になっていたかもしれないのだ。

 後に「これが彼によりて彼を制すさ」と説く海舟は、新聞に談話を公にした前後、日本中が沸き立っていた日清戦争の勝利を危惧し、戦後の三国干渉を予見していた。

 日本海軍の創建者は、軍事の何たるかを知ればこそ、いかに武力を使わず争いを収めるかを考えていた。その思想は、あの江戸城無血開城に通じる。長い後半生「意気地なし」「変節漢」の悪評は絶えなかったが、「ご勝手に」と受け流した。

 ロシアのウクライナ侵攻で、にわか軍備信奉者が増えた。ロシアの隣国日本も明日は我が身、武力には武力でとばかり「反撃能力だ」「核共有だ」「憲法改正だ」と政治家があおり立て、世論は浮足立つ。

 政治家は今こそ外交を論じるべきだが、あいにくとんと聞かない。為政者に論じる力がないのは、聞く側にも聞く力、問う力がないからだろう。外交論抜きの半可通な軍事放談ほど俗耳に入りやすいものはない。

     *    *

 世界注視の激戦地、ウクライナ東部ドンバス地方で近年何が起きていたか。5月下旬から順次全国公開の映画「ドンバス」の試写を見た。

 敵対勢力からの攻撃を演出するフェイクニュースの撮影現場、支援物資を隠匿する病院、前線で小突き回される外国人ジャーナリスト、検問所で裸にされる男たちの列、地下でのすさんだ避難生活、武装勢力に乗用車を接収される自営業者ら……。見ている心もささくれ立つ。

 2014年、首都キーウの反政府デモはマイダン(広場)革命に発展し、親ロシア派大統領が逃亡すると、プーチン大統領はクリミア半島を一方的に編入。並行してドンバス地方の親ロシア勢力(分離派)の独立宣言と武力支配を軍事・財政両面で支援した。以来、同地ではウクライナ軍との内戦が続いていた。戦争は今年始まったわけではない。

 ウクライナ出身のロズニツァ監督はドキュメンタリー映画専門だが、本作は実際起きた地域崩壊の現実を13の物語に構成し、俳優に演じさせた。18年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。

 ぞっとするのは、日常を非日常が急速に浸食しても、人々が不条理を黙々と受け入れていく従順さだ。ウソ、腐敗、脅迫、憎悪が当たり前になっても社会は続く。それくらいは日本にもないわけではないが、非日常社会が人間性喪失の一線を越える致命的な契機は、熱狂と暴力だ。

 規律に違反した武装隊員は仲間たちから次々にムチ打たれ、縛られた捕虜は民衆から殴る蹴るのリンチを受ける。いずれも白昼の街頭で、遠巻きに眺める通行人、歯をむき出しにはやし立て、記念写真を撮る老若男女の顔こそ恐ろしい。従順だった人々は、じきに非日常社会の担い手となる。初めは互いを誘い合いながら、やがて自ら率先して、そうした行為に加担するようになる。

 ロシアの蛮行は許されないが、戦争に至った経緯や両国の歴史を知れば知るほど、正義と悪の二元論で語れない複雑さが沈黙を強いる。

     *    *

 戦争が外交の延長なら、外交は政治、政治は生活の延長である。戦争の影は始まる何年も前から、日常の間に潜んでいたに違いないのだ。

 ロシア世論の圧倒的なプーチン支持を、強要されている、だまされていると決めつけるのは単純すぎる。ソ連崩壊から30年。チェチェン紛争やシリア内戦など陰惨な戦闘を経験してきたロシア人が、何が起きているか知らないはずはない。それを支持するロシア社会の日常は、いかに長い歳月をかけ、言論封殺と暴力に対してマヒさせられてきたか。

 昨年秋に出た奈倉有里著「夕暮れに夜明けの歌を」を読むと分かる。こんな時代にもかかわらず、いやだからこそ、文学を探しにロシアに行き、08年日本人で初めて名門の国立ゴーリキー文学大学を卒業した日々の淡々とした回想記である。

 研究に沈潜した生活にも、ロシアをむしばむテロや戦争、貧富、宗教、愛国主義の刃先は刺さる。日常が切り裂かれる体験は、なまじの政治リポートより生々しく独裁体制下の精神的退廃をあぶり出す。こうして戦争国家は作られるのか。奈倉氏翻訳のロシア語小説には、民主化デモと弾圧を予見した作品もある。文学の力は侮れない。
(専門編集委員)


2022年5月7日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「時の在りか-文学を探しにロシアに行く」から引用

 この記事の冒頭に書かれた勝海舟のエピソードは、大変示唆に富んでいる。徳川幕府の外交官は、明治の政府の外務省より外交に長けていたように思われ、明治維新などやらなくても、徳川幕府自身が国家の近代化に取り組んだほうが、その後軍部が変に勢いを付けて東アジア侵略に乗り出すような愚行を避けられたのではないかと悔やまれます。それにしても、長い歳月をかけて言論が封殺され、暴力で支配されたロシアの社会が、国内世論で為政者の暴走を抑えられなくなってしまったというのは、他山の石としてわが国も学ぶべき点が多いのではないかと思います。モリカケ・桜、学術会議任命拒否等々、うやむやにすることに慣らされてしまえば、日本は「何時か来た道」に逆戻りすることになりかねません。






最終更新日  2022年05月28日 01時00分06秒


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