ニュースには文字通りのニュースといままでもあったものがなにかの機会にとりあげられるようになったものとがあるようだ。電車事故を契機にいくつもの電車のオーバーランがニュースになったり、ある大学の入試ミスによる入学許可を契機に連続して入試ミスがニュースになったり、エレベーター閉じ込め事故を契機にエレベーターの閉じ込めがニュースになったりするのは後者の例だ。最近、オーバーランもエレベーター閉じ込めもニュースになっていないが、こうしたものがなくなったというよりも、単にニュースに取り上げなくなっただけだろう。
そして最近ではさらに第三の範疇があるように思う。今までマスコミも国民も知っていたが、タブー視してとりあげられなかったものが、なにかの拍子にそのタブーがなくなるといっせいに大報道を始めるというパターンである。ジャニーズ事務所の性加害も相当前に内部告発本がでており、知っている人もかなりいた。統一教会と政治家との関係も岸信介の頃からで、これも散発的に週刊誌などでとりあげていたように思う。ジャニーズは国連での問題視、統一教会は安倍総理銃撃事件をきっかけとして報道が噴出しているのは周知のとおりだ。タブーは横並びだからタブーなのであって、ひとたび外れると今度は「みんなで渡れば怖くない赤信号」になっていく。
マスコミは権力から情報を貰い、スポンサーから広告を貰い、一般人から購読や視聴を貰うことで生きている。だから与党や有力政治家、官庁、有力企業、巨大宗教などには弱い。もしかしてマスコミの報道をみる場合には報道していることだけではなく、報道しないこと、報道されなくなっていることにも注意する必要があるのかもしれない。