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カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領北部】 松本平南西部の旧高遠藩領内にある村から、松本市街地方向を撮った写真です。この村も旧高遠藩領内だったことを知って、会津に残っているあるモノを理解することが出来ました。保科正之公に付いて、山形最上経由で会津に移住された家々が、今でも会津で続いています。姓と家紋を考えると、答えはそれしか出てきません。 そして、そうした家々があるということを、この周辺の村の方々もよくご存じです。あるところで、そのことに関してお話をお伺いすることが出来ました。そして、小生は小学校6年生の夏休みにも、この村にある一軒のお宅を訪ねたことがありました。そのお宅の天井がものすごく高かったことと、庭に菜園があったのですが、小生が通っていた阿佐ヶ谷駅前にある小学校の校庭よりも広かったのは覚えています。 保科正之公が、それまでの家臣にくわえて、3000人とも言われている農民を士分に取り立てて最上山形へ帯同された、本当の理由は判りません。所謂「島原の乱」の前年のことでした。そして、この一帯にも確実にキリシタンのモノと考えられる石像や石碑などが残っていて、ここでご紹介したことがありました。 やはり夏休みなので、松本のホテルは満杯のようです。明日か明後日から、ここからそう離れていないところを再訪しようと思っていますが、ホテルは伊那谷のいつものホテルを予約しました。朝食付きで、1人4000円以下です。助かります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.08 22:20:28
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