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表紙の汚れた帳面に記された約束の場所「ナンテの木の下で」

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2006.02.15
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カテゴリ:「赤い鳥」ノート
1919年1月18日。パリ講和会議開会。
その前の年1918年大正7年7月鈴木三重吉が児童雑誌「赤い鳥」を創刊しています。

我々の先輩は児童文学と民話の研究のための研究会・同好会・サークルを立ち上げる時にその名前「赤い鳥」を自らのサークル名として選んだと聞かされています。
私たちの活動内容はともかくとして鈴木三重吉の「赤い鳥」活動は、まさに歴史に残る快挙でした。

この赤い鳥から「ないた赤おに」「りゅうの目のなみだ」の浜田広介や「ごん狐」の新美南吉も世に出て行ったのです。
新美たち文壇をめざす若者にとって「赤い鳥」はひとつの大きな目標だったにちがいありません。
創刊号から錚々たるメンバーが名を連ねています。

赤い鳥に関係した作家や詩人の一部をあげると

      芥川龍之介、島崎藤村、北原白秋(童謡欄担当)泉鏡花、
      小山内薫、谷崎潤一郎、小川未明、西条八十、菊池寛、
      佐藤春男、菊池寛、徳田秋声、高浜虚子、坪田譲二  …

          ととても数えきれるものではありません。

つまりは当時同時代に活動していた作家たちの多くが「赤い鳥」と何らかの関わりをもっていたと言えるわけです。


鈴木三重吉は1936年昭和11年6月27日肺ガンで亡くなっています。
その年8月、雑誌「赤い鳥」は廃刊。

第11回オリンピックがベルリンで開催された年です。





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Last updated  2006.02.16 00:14:03
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