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テーマ:日記(2512)
カテゴリ:同窓会「赤い鳥」
引用します。
「赤い鳥」という雑誌は大正七年七月に創刊され、昭和十一年八月までつづきました。もっともその間に一年九ヶ月の休刊がありました。 しかしその十七年間の間に百九十五冊の、実に立派なわが国児童文学の光ともいえるような雑誌が出ております。これこそ、わが鈴木先生が三十七歳の時から五十五で亡くなられるまで、その半生をかけられた大事業だったのであります。亡くなられる数日前まで、「赤い鳥」のために病躯をかって、あえぎあえぎ原稿を書かれたことを見ても、その児童文学のためにどんなに熱情をもたれていたかということが思われます。 昭和33年に小峰書店から「赤い鳥代表作集」が全三巻で発行されています。 上記の文章はこの代表作集の編者代表であった坪田譲治がその前書きとして書いたものです。 その冒頭部分です。 私たちが赤い鳥の多くの作品を目にすることができるのは この本があるからです。 そしてこの代表作集が1998年に同社から復刻版として発行されています。 もう少し 何か書くつもりでこの文章を打ち始めたのですが 何を打つつもりだったのかを失念してしまいました。 本日は以上です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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