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テーマ:たわごと(26609)
カテゴリ:時事ネタ
採用取り消し教員「改ざん知らなかった」多数 >08年度の教員採用試験で得点の改ざんにより不正に合格した教員の採用を取り消すことを決めた大分県教育委員会は30日、職員らが対象者のほぼ全員と個別に面談し、取り消しについて伝えた。 >多くの教員は自分の得点がかさ上げされた事実を知らなかったと話し、「納得できない」と反発する声も上がったという。 いやいや、ちょっと待てって。『「改ざん知らなかった」多数』ってなってるんだけどさ。これは、ワタクシの読解力に問題がないとすれば、『知ってた』っていう教員も何人かはいたってことだよね。先生って試験の得点だけでもないんだろうけどなぁって感想も持ってたんだけど、改ざんで採用になって、それを知っててノホホンとしてた教員は問答無用で即刻取り消しでいいよ。 まさか、こういうのは「納得出来ない」「受け入れられない」とは言わないだろ。 まぁ、それ以外の人でも、「納得出来ない」気持ちはわかるけど、本来そこにはいない人ってことなわけだからねぇ。採用基準がしっかりしてたら存在しないわけだよ。しかも、本人の関与は関係ないわけでしょ。本人の知らないところでそういうことがあったんだとしたら、その関与が親なのか誰なのかわからないけど、文句を言うなら県教委じゃなくてそっちだよなぁ。 『本人が希望すれば臨時講師でも』ってことらしいんだけど、これはフツーに考えて難しいでしょ。だって急に臨時講師になったら、本人自身の責任は別として、結果的には不正のおかげで先生になったんだってバレちゃうしさ。 生活費のこととかもあるだろうから、せめて次の採用試験の時期までは雇用してあげてもいいとは思うんだが。今の今まで教員をやってたんだし、また試験受けて頑張ればいいんじゃないか、と。 それとも、現役なのに採用試験に受かる自信はない、と? 大分県教委:採用取り消し21人に通知開始 現場には不安 >08年度試験で二次試験で不合格となった県内の男性臨時講師は「末端の教員が首を切られ、不正にかかわった上の人間は軽い処分。これでは、自分がもし救済されても素直には喜べない」と話している。 だったら、もし繰り上げ採用になっても断固辞退してくれ。救済されても「自分は納得出来ないから」と拒否してくれ。中には、将来の日本を考え、理念を持ち、子供に接していきたいと強く望んでいる人がたくさんいるんでさ。アナタみたいなのがもし教員になったら、そういうことよりも職場環境がどうのとかばかりうるさそうだから。 ま、救済ラインまではほど遠いんだろうけど。 「未来の裁判員」育てる「法教育」 学校で広がる >来年5月に裁判員制度が始まるのを前に、「未来の裁判員」になる子どもたちに、法律に基づいたものの見方を教える「法教育」が広がっている。学習指導要領に盛り込まれたほか、法科大学院の学生が教える側にまわるなど教育現場で模索が始まった。 次ページ >法務省の法教育推進協議会が昨年3月に出版した「はじめての法教育 Q&A」にある設問の一つだ。中学生がそれぞれの住民の立場に立って解決策を提案し、「みんなに平等か」「もう少し不利益の少ないルールはないのか」などを考える仕掛けだ。 いよいよ始まるんだねぇ、裁判員制度。裁判院制度と陪審員制度って同じように感じるけど、陪審員の市民だけで有罪・無罪まで決めちゃうのが陪審員制度で、国民の中から無作為に選ばれた「裁判員」が裁判官とともに有罪・無罪や量刑を決定するのが裁判員制度なんだね。 で、その裁判員てのが決まってて、裁判官3人に対して裁判員が6人てことらしい。この辺の人数は微妙だよなぁ。裁判員が少なければ従来通り裁判官主体の経過が予想されるし、多ければ勝手気ままな言い分に振り回される可能性もある。まぁ、決まったことだから仕方ないけど、より多くの人数の方で侃々諤々とやる方がより真実に近づくのかもしれないよね。 だってさ、選抜が無作為なだけに、常識を持ち合わせている人ばかりが裁判員になるわけでもないわけでしょ。例えば、いわゆる似非平等主義者が世を闊歩している昨今。少人数じゃ、全員そんな人になっちゃうかもしんないんでさ。論理的な積み上げよりも、「可哀相」「ヒドイ」だけで判断しそうで怖いよ。 加害者(容疑者)への人権の配慮ばかりで、被害者の人権を顧みないんだからとても冷静な論議など出来ないんでさ。下手すると「この事件は社会の構図が生み出したものだ」とか言い出して、「国が真犯人」なんて結果を平気で出しちゃいそうだもの。目の前にいる加害者(容疑者)は無罪。人数が多ければ、そういうおかしな人以外のフツーの人が選ばれる可能性が増えるし。 でさ、更に懸念されるのは報道のあり方。一般人が参加するわけだから、当然TVニュースや新聞をはじめとするメディアを目にするよね。そこで先入観が形成される。自分の頭で考えているように思えて、いつの間にか誘導されちゃってることはよくある話でさ。報ステやらを観てると、局(や番組)の報道姿勢でどうにでもなっちゃう。映ったもの話されたものが全て真実だと思い込んじゃう素直な人が多いんだから。 で、そうやって仕入れた情報と参加しているという充実感(ステイタス?)で、議論された内容なんかをワイドショーやニュースを観た感想程度の感覚でペラペラ喋っちゃいそうでさ。当然守秘義務みたいなもんはあるんだけど、TVを観ての感想と審理での意見交換とどう線引きするかというね。「こんな人がいてさ」「こんなこと言っててさ、バカだよなぁ」くらい飲んでる席で言っちゃいそうだよ。 そういうことを考えていくと、もちろん公平性の維持ってことなんだろうけど、誰でもかれでも参加させるっていうのは大きなリスクを伴うよなぁ。同じ事件でも、こっちの地域では無罪なのにあっちの地域では有罪と言うのもあり得るし、同じ有罪でも量刑が極端に開く事もあり得る。裁判官がどれだけ関与するのかはわかんないから、それによっては何とも言えないんだけどさ。 まぁ、そんなバラバラ感を無くして『法律に基づいたものの見方を教える』って試みらしいんだけど、こういう子供が『権利』とかを狂ったように大声で叫ぶオトナに育っちゃいそうなんだよなぁ。この短い記事からも「大丈夫かぁ?」って心配になっちゃうんでさ。 大体が、教える側からして似非平等主義思想だもんだから困っちゃうんでさ。『「法律だけじゃなくて、価値観が重要だということを伝えたいよね。たとえば世の中で厳罰化が進んでるって言われるけど、ちょっと冷静に判断してみようよ、とか」。』・・厳罰化?進んでるか?ワタクシから言わせれば、似非平等主義者のおかげで手ぬるくて手ぬるくてどうにもなんないじゃないかって感じすらあるんだけど。 オマエらが冷静に判断しろよ、と。 「法律にどんなイメージを持っていますか?」って中高生に聞いたところ、「越えてはいけない一線」「みんなに平等」といった答えが返ってきたっていうんだけど、そりゃそうだよ。そういう風潮なんだから。そういう考え方になるように誘導してるんだから。その成果が出てきてるってことだろ。シレーっとしてるんじゃないって。おかげで、どこに石を投げても似非平等主義者に当たるよ。 後の記事で、法務省の法教育推進協議会が昨年3月に出版した「はじめての法教育 Q&A」にある設問を例に出して、「みんなに平等か」「もう少し不利益の少ないルールはないのか」などを考える仕掛けだ。 と言ってる。更には、「幼稚園ではブランコに乗る列の作り方から入っては。背の順やジャンケンなど、どの方法が公平かを体験しながら考えられる」と助言した。 とか。 誘導してるじゃねぇか。 それにしても、どうしてそんなに平等にしたいかねぇ。ブランコに乗る列の作り方なんかはまだわかるけど、順番なんて自然に形成されてくもんだと思うがなぁ。その要件としては腕力だったりするんだけど、それはそれで子供たちの世界でのルールってか不文律なんだから、危険が及ぶ手前までは大人は黙って委ねてればいいんだよ。大人の価値観で子供を括ろうとするからおかしくなるんでさ。 前回の日記でも書いたんだけど、子供社会の中では必ずしも腕力がある奴が一番優位にいるわけじゃないでしょ。大人もさ、自分が子供だった頃のことを思い出してみればいいんだよ。そうやって何でも枠にはめて大人の都合のいいようにしていこうとするから窮屈になるし、子供たちにも余裕がなくなっていくんじゃないのかねぇ。 「殺せという声が…」恐怖の美容室 刺された女性客死亡 >茨城県常陸大宮市の美容院で女性2人が切り付けられた事件で、意識不明だった客の女性(74)が29日、搬送先の病院で死亡した。 たまに、こういう「殺せという声が聞こえた」とかって事件があるんだけどさ。どうして、いつもそれは他人に向けられるんだろ。その「声」は、どうして自分には向かないんだろ。「自分の腹を刺せ」とか「そこから飛び降りろ」とか言わずに、その「声」はいつも外に向けられる・・都合のいい「声」だよなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年08月31日 12時10分39秒
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