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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【ベトナム戦争】 駐在時の想い出

2018.04.01
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       ―――― 複刻記事 ――――

デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である
​​
​​
​最近、​私のブログ・アクセスランキングに
この記事が上位でランクインしていた
懐かしい記事なので、私自身も、読み直そうと思って
複刻記事にした

なお、記事中で書いたことだが
私がある香港のカンフー俳優に似ていると
当時、サイゴンのバー街の女の子達にはやし立てられた
そのカンフー剣士の名前をあとになって調べてみると有名人である
ブルース・リーがカンフー俳優として世界的な名声を得たが、彼はその一代前の人気俳優
名前をジミー・ウォングという
中国名「王羽」

サイゴンでは、彼にそっくりと言われた私だが、自分では、果たして似ているのかどうか?
少なくとも、彼より私の方が、もう少し面長である

一度、テレビで彼のカンフーぶりを見たことがある
ブルース・リーもそうだが、とにかく、驚嘆すべき運動能力
これには感嘆した
まあ、カンフー映画のストーリー自体は、古めかしくてシンプルなものばっかりだが




♪ 私のラバさん 酋長の娘
  色は黒いが 南洋じゃ美人

こんな古い歌がある。
ラバさんとは、「lover」、つまり恋人・愛人のことであろう。


「酋長の娘」

石田一松 作詞・作曲
(西暦1930年、昭和5年)

わたしのラバさん 酋長の娘
色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る

踊れ踊れ どぶろくのんで
明日は嬉しい 首の祭り

踊れ踊れ 踊らぬものに
誰がお嫁に 行くものか

昨日浜で見た 酋長の娘
今日はバナナの 木陰で眠る

 ーーーー

オイオイ!
「明日は嬉しい 首の祭り」って、怖いじゃない!

だって「首の祭り」って「首刈の祭り」でしょ?


それはともかく、この歌詞など、今となっては多少人種差別的な感じもするが、いずれにしても民族特有の美意識というものがあって、ところ変われば品変わるというか、国によって好まれる容貌というものがちがうという、文化人類学研究の珠玉の成果がこの言葉だと・・・、そんなわけは無いが、私も南洋じゃ美人・・・では無く、ある地区限定で、というか、ある国限定で、男前だったことがある


私はいつも「ヴィエトナムは最高」と書く。
それは気候風土が温暖だとか、食い物が美味しいとか、ネーチャンがキレイだ・・・等で、フォーク・クルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」の様な理屈を書いたが、実はそれまで、日本では女性に振られるばかりだった私が、現地のオネーチャン達に「男前・ハンサム」と呼ばれた国がヴィエトナムであるからこそ、私はヴィエトナムをほめたたえ、日本のメーカーの海外立地も、反日感情のうずまく中国から、美人国ヴィエトナムへぜひ転換すべきだと声を大にしているのである。


以前書いたようにサイゴン(ホーチミン)には、旧宗主国フランスの文化であるバーが多かった。
そこにはミニスカートで小麦色の肌の美人達がお客を待っている。
私がバーに入っていくと、オネーチャン達が、「デプチャ~イ!」と声を上げるのである。

デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である。
「デップ」が美しいという意味、「チャイ」は英語の「やつ Guy」というところだろうか?

これが一軒のバーだけなら、たまたまかもしれないが、ほとんど、どのバーに入ってもオネーチャン方にそう呼びかけられた。
私が南洋じゃ、イヤ、ヴィエトナムではハンサムであると言うことは、このオネーチャン達が、けなげに証明してくれたのである。
そればかりか、それに浮かれて毎晩、バー通いを始めたのである。
ヴィエトナムのバー・ガールさんたち、ありがとう!


ここで珠玉の格言を作ってみよう。
【人は、おだてられて進歩するものである alex】




その当時のサイゴンの米兵バーでは
バーに入った客は、自分の飲み物以外に、サイゴン・ティーと呼ばれる紅茶を女の子におごり(このお茶代が彼女たちの収入になる)、女の子との歓談の時間を確保することになる。

客の方からおごりたいと申し出たり、女の子の方から「おごってちょうだい」とねだられたりである。

バーの客は、今戦場から帰ってきたばかりの兵士達である。
その他、MP(憲兵)もいたし、特殊部隊のグリーンベレー達もいた。
戦闘服のままの大男達が、拳銃や大きなナイフを腰にぶら下げて、頑丈な軍靴でガツガツと床を踏みならしながら歩く。

魅力的な女の子がいると、客同士で争いになることもある。
兵士があまり懐の豊かではないのと、金払いがよくないことを知っているバーガール達は、金払いのいい「デプチャイ」?の!私の方を優先する。

一度、きれいな女の子が私を選んだとき、負けた?兵士が、ポパイのような重量級でイメージとしては軍曹という感じの大男だが、負けた悔しさにビールの缶をギュッと片手で握りつぶしたのには肝を冷やした。
あのころ、ヴィエトナムではビールのアルミ缶が出始めていたので、多分そのアルミ缶だったのだろうけれど、それにしても怖かった。


ある時、あるバーで、混血の美女とお茶していたとき、彼女が「貴方は私の彼氏とそっくりなのよ」と言い出した。
その彼氏とは香港のカンフーのスターで、最近サイゴンに、多分、映画祭のあいさつか何かで来ていて、彼女と恋仲になったのだという。
その証拠という2ショットの写真も見せられたが、俳優の容貌は記憶に無い。
名前もおぼえていない。

何でも隻腕の(片腕の)剣士なのだという。
ただ、私は、その時まで、カンフー映画を見に行ったことが無かったし、興味がなかったし、日本にもあまり紹介されていなかったし、「ふ~~ん、そうなの」というだけだったが、その美女には大いに関心があった。(笑)
その証拠に、彼女とのバーでの会話をテープにとってある。
騒がしいバーの雰囲気の中、彼女の優しい声の訛りのある英語がかすかに聞こえるテープである。

       ―――― ◇ ――――

それ以降、私はデプチャイと呼ばれなくなった。
代わりに私は、そのカンフー・スターの名前で呼ばれるようになった。

夜、バー街を歩いていると、バーから出て道路沿いに並んでいるバー・ガールが、「○○○○!!」と、そろって、カンフー・スターの名前で、私に声をかけるのである。

どうもサイゴンのバーガール達、全員にそう認知されたらしい。
なんだか晴れがましいというか、照れくさいというか・・・。
私にとってはデプチャイの方がよかった。
その剣士俳優の映画を観たこともないし、顔も知らないのだから。


実は、最近、あるメル友にこの話をしたら、そのカンフー男優映像をメールに添付してくれた。
はたして私に似ているのかどうか?私自身にはよくわからない。
自分の顔がどんな顔なのか?案外わからないものである。


私も小さいころチャンバラをもっとやっておけばよかった。
せっかく習いに行ったのに先生が乗り気でなく、やりたかったのにやれなかった剣道をやっていればよかった。
そうすれば、香港で日流剣士として名をなしたかも知れない。
そうして、サイゴンへ晴れの凱旋をして、あの美女が、私の胸に飛び込んできたかもしれない。


​​​






最終更新日  2018.04.01 07:45:07
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2018.03.30

       ―――― 復刻記事 ――――
 
​ベトナム戦争 そこには見たことがないほどの美人が立っていた​

私は今までずいぶんベトナムの、サイゴンの想い出を書いてきた
しかし、気がついてみたら、このベトナム戦争当時のベトナムについて一般人の書いたものを知らない

 もちろん、開高健や本多勝一の一連の作品、それに報道カメラマン達の写真集やエッセイなどはある
 しかしそれは、敢えてベトナムに来た職業的ルポなり写真である
当時のサインゴンに暮らした一般人の記録が無い
 どうしてなのか?
 今までそれが不思議で、さんざんネットで探してみたが、それでもみつからない

 しかし今日、やっと腑に落ちた
戦時下の危険なサイゴンになど出かける一般人など、ほとんどいなかったのである

当時のサイゴンにいた日本人と言えば
 ー 大使館職員
ー 商社駐在員
ー 東京銀行行員
ー サイゴン病院出向医師
ー 日本料理屋経営者
ー 旅行代理店(戦前の特殊機関の人脈)
ぐらいである
他には、工事現場の日本人技師・職人達ていどである
一般の旅行者などに出会ったことはない

 つまりサイゴン在留者の数が限られていたから、
特に、一般人の在留者んど、いなかったのだから
サイゴンの想い出を書く人が少ないのである

 とすれば、この私が書く稚拙なサイゴンの想い出シリーズも、文章の質どうこうとは関係なく、当時のサイゴンを知る、貴重な資料ではないか?
 私は本気でそう思う

~~~~

 私が赴任して初めての日曜日であった

 メイドが私を呼びに来た
「旦那さん お客ですよ」

 赴任したばかりの私にお客とは不思議だったが出てみて驚いた
見たこともないほどの、美人がそこに立っていたのだ

~~~~~

ベトナム女性は、がいして可愛い
例え「美人」とまで行かなくても、まずほとんどの女性が、愛嬌があって可愛い
性格も、周辺諸国の女性に比較しても、明るくて、活発である

それにアオザイが似合うホッソリとした柳腰である
竹久夢二が泣いて喜ぶ・・・(笑)タイプが多い
 ベトナムに来た日本人の男性はかならず、ベトナムの女性に「感銘」をうける

~~~~

 旧フランス植民地である、仏領または仏印インドシナ三国というのがあった
 ベトナムにカンボジア、それにラオスの三ヶ国である

 
 ただ、カンボジアとラオスの言語はお互いに親戚筋だが、私の見るところ、ベトナム語はこれらとすこし距離があるようである
 それにベトナム語は、長く中国の属国だったため、中国・漢字文化の濃厚な影響下にある
文字こそ現在はアルファベット表記だが、語彙には漢語語源のものが極めて多い
言い換えれば、その発音から語源である漢語が推察可能な単語が非常に多い

 もちろん、漢語といっても現在の北京語ではない
日本語の中の漢語も、その時代に入ってきた中国の言語から時系列的に、漢音・呉音・唐音など、異なった発音である
すなわち、中国が間であった時代、中国の御地方からの伝播、中国が党であった時代
みな、発音が違う
例えば昔の長安の都、今は西安であるが
日本では、セイアンと発音する
これは、長安が都だった唐の時代の発音だそうである
現代の北京語では、そうは発音しない

 ベトナム語の中の漢語も、それなりのベトナムと中国の関係の時代を反映しているはずである

 また、漢語の発音もベトナム流にモディファイ(修正)しているはずである
 そのモディファイも、注意しているとある一定の法則があるから、なれれば、語源の漢語がさらに容易に推察可能である

同じく、長く中国の属国だった朝鮮の朝鮮語(韓国語)とこの辺は事情が似ている
「アンニョン」は「安寧」が語源だし、「カムサ」はもちろん「感謝」である

このように漢語語源の語彙は無数にある
日本語中の漢語の様に、仏教用語・政治用語・抽象名詞などは漢語語源が多いはずである

~~~~

 私の見るところでは、ベトナムと他の旧インドシナ二ヶ国は人種的に異なる
 ベトナム人の主流であるキン族は非常に小柄な民族で、骨格はきゃしゃだ
 ご存じの民族衣装アオザイがあんな身体にピッタリ似合い、着用できるのは、きゃしゃでほっそりしたベトナム女性ぐらいだろうと思う

私は基本的には肉付きのいいアマゾネス的体格の白人女性の肉体に魅力をおぼえる
 しかし私はインテリだから単純では無い(笑)

 ベトナム女性のホッソリとした柳腰を見ていると、S的本能もよみがえって、「いいな~」と思わずムラムラすると言う幅の広さも持っている


 これに対してカンボジア人は背丈はそれほど高くないものの、骨太でガッチリした骨格である

鼻は比較的扁平である
唇は厚い
 ガイドが「京唄子です」と言うそうである(笑)

クメールというアンコールワット遺跡を作った民族がいる
 カンボジア人は明らかにクメールの末裔である
 アンコールワットのバイヨン寺院に見られる彫刻の顔がまさにこんな容貌である
三島由紀夫原作、劇団四季の「らい王のテラス」という舞台劇を見たが、その舞台にもこのクメールの顔が大きく装置されていた

~~~~

ベトナムの歴史は南進の歴史である
元は中国の雲南省あたりに、他の少数民族達とともに居住していたキン族が徐々に南下して、先住民達を駆逐して今のベトナムを作った

 まず、北部中部にいたラオス族を追い払い、中部地方に王国を築いていたチャム族というマレー系インド文化の民族を滅ぼし、南部のメコンデルタのカンボジア民族を追い払って豊沃なデルタを手中にした

 その一方で、強大な中国には抵抗を繰り返しながらも数百年、属国的な位置に甘んぜざるを得なかった
小柄でホッソリしたベトナム人は、その発展の歴史を知ると、芯の強い、粘り強い、かなり攻撃的な民族とも言える

 それは、宗主国であったフランス、それに世界最強の米軍を追い払ったベトナム戦争の経緯を見てもわかることである

~~~

かわいいくてホッソリしたヴィエトナム女性が旧宗主国のフランス人と混血すると、アジア最強の美人が出来る
私の知識内のアジアの混血女性ランキングの中で、首位の位置は動かない
 フィリピンのスペイン系美人がそれに次ぐ
インドネシアのオランダ系美人などそれなりにもいいが、やはりベトナムのフランス系美人には遙かに敵わない

 フランスはその世界各国の植民地で
フランス式の瀟洒な並木道と売春宿を作ったと言われている

 そのせいもあるのか?ヴィエトナムにはフランス人との混血が多い
 さすがに地方では、あまり目立たないようだが、サイゴンなどの都会には多い

~~~~~

閑話休題

 宿舎に来た女性と恐る恐る話をしてみた
彼女は、この宿舎にいる親しかった「トニー」を訪ねてきたと言う
 その「トニー」なるアメリカ人は、米軍のジェット戦闘機のパイロットだという
「なるほど!」と思った

私の宿舎は以前、米国の空軍将校の宿舎として使われていたという話を聞いていたからだ
私がサイゴンに到着、この宿舎二杯って、私にあてがわれた部屋でクローゼットを開けて私の衣類を詰め込もうとしたら、機関銃の弾丸がバラバラっと出てきたことがある
 トニーは、私の部屋のその時の住人なのだろう

「トニーは今はここにはいない」と説明した
 すると、彼女は、あっさりと「それならそれでいい」という
 それから手帳のページを破いて、あるアドレスを書いて私に手渡した
「私はここのバーに働いているから遊びに来てくれ」という

彼女がそれまでに出会ったことがないほどの美人だったので、私は自分の部屋にもどってもしばらくボ~ッとしていた
彼女は明らかに混血美女で、それもフランスの血が強い西洋的美人である
清楚な風情と東洋的な妖しい魅力が混在し、白人の女性以上の魅力がある
身体はしなやかでほっそりしているが、背が高くて、牝鹿のような大きな瞳でじっと私を見た、その記憶がしばらく消えなかった

 ーーーー

夜になるのを待ちかねて、私はすぐそのバーを訪問した
いままで外出の経験もないのに、まだ右も左もわからないこの戦時体制の危険なサイゴンで、しかも夜間に、いきなり単独外出したのだ
後にその無謀さを先輩・上司に責められたが、私とはそういう男なのだ
 いつも「奔放な」とかいう形容詞がついてまわる

宿舎の前の通りで、は流しのシクロマイを止め、運ちゃんに彼女からもらったアドレスのメモを見せた
「わかりやした!旦那!」
と(恐らく)彼は答えてシクロマイを走らせた

 このシクロマイというのは、オートバイの前に座席をつけたようなものである
 その座席に乗客が座る
運転手は座席の後ろのオートバイを操って、大爆音をたてながら、高速で爆走する
前が二輪の三輪オートバイである

前を走る人力車・シクロなどを右に左に避けながら、私をのせたシクロマイは、夕暮れの街の風を切って走る
正面衝突などすれば、危険だろうとは思いながらも、薄暗い南国の夜の疾走は爽快である

まもなく空港近くの、米兵相手のバーばかりが並ぶ地区に着いた
普通の瀟洒な住宅地とは異なって、すさんだ雰囲気である
 まあ、荒れた西部劇の町のようなイメージである

目的のバーに踏み込んだ
大音響の音楽の店内の客は全員カーキ色の軍服を着た大柄な米兵ばかりである
 グリーンベレー(特殊部隊)もいる
警棒と茶色い革製のホルスターに入れた短銃を腰に下げたMP(憲兵)までいる

大音響のジュークボックスと、けばけばしい赤いライトがきらめく中で、化粧した彼女は昼間より更に美しかった
私を認めた彼女が私を手招きでカウンターに呼び寄せた

~~~~~

その次にこのバーを訪問した時には、一人ではなかった
 つきあいのあった某新聞社の記者を連れて行った
彼はサイゴン生活もかなり長く、初心者の私とは違って、いろいろ浪瀬を飲み回っているらしい
 その彼も、彼女を一目見るなり、やはり「牝鹿のようだね」と感嘆した

~~~~

 以下省略・・・

と言うか、その時、彼女とはなにも無かったのである
 ただ、彼女とは、そのあと、動物園デートまではこぎつけた
 サイゴンには、あまり動物はいないが植物園を兼ねたような、あまり整備されていない荒れた動物園があった
象がいたことは記憶しているが、そのほかの動物の個別の記憶はない

彼女が新しいハイヒールで、靴擦れになってしまった事を覚えている

私が彼女を紹介した新聞記者は、私とちがって(笑)
女が大好きで、しかも中年で厚顔(笑)勇敢だったから、その後、きっと彼女のバーに通っただろうと思う

 あの時の、彼の彼女を見つめていた彼の様子から、そう思える

私はといえば、ずっと後で彼女とは再会したが、わずか2年ほどで、彼女の容色はかなり衰えていた
疲れた風情でもあった
だから、もう圧倒されることは無かった

以下省略

 ~~~~

この「動物園デート」というのはサイゴンでの男女の定番だった
 ベトナムの女性はプライドが高い
 再論の水商売の女性にも、いろいろなグレードがあったが
高級ナイトクラブやあるレベルのバーに勤める女性は
いきなり肉体関係に入ることを、どちらかというと避ける

さもないと自分は安物だということになる
 だから、かなりの女性が、外国人男性に対して、疑似恋愛のスタイルを求める
護持恋愛関係という前提をつくって、それを演じながら肉体関係に入る
 これならプライドを保持できる
 そのかわり、疑似とは言え、一応、恋愛関係なのだから、男性の浮気は許されない
少なくとも束縛使用とする
証券保護という目的もあろう(笑)

 ーーーー

このサイゴンの米兵相手のベトナム女がホステスでアルバー
そこへの出入りは、我が社始め、日本各社では原則禁止でアタ
いくつか理由があると思う

まず、その種のバーは、ベトコンの攻撃対象になりやすく、現に、何度も、プレスティック爆弾・時限爆弾で、攻撃されている

また、出入りする米兵も、戦場帰りのその足でバーに入ってきて酒をあおるという事でトラブルが絶えない
なにしろ米兵達は、ライフルこそ持っていないが、拳銃と帯剣のまま、と言う兵士が多かった
ブーツも田舎の戦場の田んぼの泥がこびりついていたりする
まあ、戦場の雰囲気、補どんどそのままを持ち込んでいるのである
兵士達にとっては、明日を知らぬ命だ
女と酒を求めるのも当然だろう

サイゴンの日本駐在員の皆さんは、私と違って、こういう危険な場所に、常習的に(笑)出入りする人は少なかった
建前的には、事務所レベルで禁止されていたし

度の変わり、彼らは、危険なサイゴン中心街を避けて、少し離れた中国人街のナイトクラブの常連だった
もう時効だろうが
彼らは、そこで、オンリーの女を作っていた
中華の女の方が危険性が少ないという理由と

駐在員の多くが、東南アジアの他の国での駐在の経験があり、そういうバックグランドがあれば、自然に、化協会の共通語である広東語をしゃべるようになり、サイゴンの中華街(チョロン=ショロン)の中華ホステスとも広東語で、はじめから、コミュニケーションが出来たからである
私は、サイゴンバー街で(笑)、英語とつたないベトナム語でコミュに^ションをとれていて、逆に、広東語は、ほんの、シュウシュウ(少々)(笑)だったのだ

 ーーーー
とりとめない話になったが

 中国人街のナイトクラブの極めて現実的なビジネスライクな華僑ホステスと比較すると、ベトナムのバーやナイトクラブに勤めている女性は、恋愛モードと言う建前は外さない
個人差もあるが、疑似恋愛で始まっても、そのうちに恋愛感情を持つ場合が、かなり多い
華僑の女性は、日本人の男性を手玉にとって、金を搾り取る
 まず外国人の男に本当の恋愛感情など持たない(というのが私の観察である)
 非常に即物的な女性達である
「商売!」「商売!」意識が強い

 それに、大きな声では言えないが(書くだけならいいか?)、容姿において、華僑の女達は、すらりとしたベトナム女性には敵わない

 ベトナムの女性はプライドが高いとともに、嫉妬心が強いと言われる
浮気をして、斬りつけられたとか、肉体の一部を切り取られたとかいう話を聞かさた
肉体のどの部分なのかは重大な問題だと思うが、その辺は不明である

愛情と言うより、独占欲なのかも知れない
商売上の囲い込みなのかも知れない
 これが「いい事なのか」「悪い事なのか」、判断に迷うところだ

 
しかし少なくとも、華僑系の女性相手では、私のような恋愛未熟者でも「恋愛ごっこ」の気分にならない
相手が金目当てである事があまりにも直接的にわかるからである

その点、間接的には、やはり金目当てであっても

明るくて、お茶目で、キラキラしていて、嫉妬深くて、疑似恋愛のつもりでいてもつい本気の恋愛に迷い込むこともある
 そんなベトナム女性が好きである
いや、過去の事だから
好きであった(笑)

まあ、話は落ち着くところに落ち着いたかな? (笑)







最終更新日  2018.03.30 14:27:22
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2018.01.26
​​
米国や欧州で、銃の乱射というテロが続発している
しかし、一般の日本人にとって、銃を触った経験など無いだろう
ベトナム戦争当時のサイゴンで経験した、銃にまつわることを書いた過去ログである
​​




​​​ベトナム戦争​​​​における私の銃体験


カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出


銃社会の米国とちがって、銃所持が厳しく規制されている日本では
銃を手にしたり、実弾を発射したりの経験がある人は少ないだろう

 しかし、韓国やハワイなどでは、実射できる場所(店)があるし
 ベトナムでも、ある場所で、実弾射撃が出来る有料射撃場があった

私は、ベトナム戦争の最中、ベトナムのサイゴン(今のホーチミン)に駐在していたから
実射の経験もあるし、
 撃たれた事もある(笑)

 射撃には慣れっこになってしまった
 そんな、銃体験を思い出してみる


   ―――― ◇ ――――


戦時中のベトナムでは、宿舎がサイゴンの街の中心からは少し外れの
交通が激しく、警備の厳しい交差点に面していた
サイゴンから郊外に向かおうという街道である

実はその交差点では、警察と軍隊が非常線を張っていて
夜中には、何度も、警告射撃の音が響いていた

怪しいバイクを見つけると、兵士や警官がピ~~とホイッスルを吹く
止まらなければ、威嚇射撃なのである
 それでも止まらなければ、実弾発射である

初めはビクッとしたが、すぐ慣れた

とは言え、私の二階の部屋の窓の下でバンバン撃つのだから
読書中とか、昼寝中にはびっくりする(笑)

----


サイゴンは、そのころ
昼間は南ベトナム政府が

夜間はベトコン(南ベトナム解放戦線)が支配していると言われていた
権力の、武力の(笑)二重構造であった
こういう例は、世界史をひもといても、あまり例がないのではないか?
珍しい現象ではあった
つまり、南ベトナム政府は、南ベトナムのテリトリーを掌握しきてていなかった
ベトコンの跳梁を押さえることが出来なかった
そういう事である

だから、南ベトナム政府としては

サイゴンに潜むベトコンと北ベトナムのスパイ摘発に懸命だったのである

夜間はカーフュという夜間禁止令が出ていて外出するものは、問答無用で射殺される
 サイゴン病院にある日本人医師を訪ねて行ったら
 ちょうど、夜間に撃たれた人間が運び込まれてきていた
日本人医師によると
腹部に何十発もの銃弾が撃ち込まれていたそうである

----


事実、サイゴンの街の中では、プラスティック時限爆弾をつかったテロは
日常茶飯事だった
私が昨日、飲んでいたバーが
翌朝の朝刊でみると、時限爆弾で爆破され米兵がひとり、死亡している
 ・・・などは、私の実体験である

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一度、宿舎の前の交差点の向かい側にあった仏教寺院で
僧侶達が反政府のデモをした
その頃は、同じ南ベトナム内部で
仏教徒達が政府に激しく対立していた時代である

 ヘルメットに防弾チョッキ、完全武装の兵士達が大勢駆けつけて
寺院めがけて自動小銃のオート・モードで大量の威嚇射撃をしていた
単なる威嚇だけでは無かった
あれでは、死傷者も出たのではないか?

銃撃は夜になっても続いていて
夜間になると、

 兵士が発射する自動小銃の銃弾に含まれている照準を修正するための照明弾が赤いアイスキャンデーのように夜空の中の仏塔に流れた

私は、宿舎の門扉のところでそれを見物していたのだが
私があまりにも無責任で、楽しんで、見物モードになっていたのか(笑)
 腹を立てたらしい兵士の一人が、私めがけて撃ってきた

 ピュン!と弾丸が私の足下に着弾して
 コンクリートがくだけて、煙のようなものが上がった
弾丸は厚い鉄製の門扉に当たって、ガキ~ンと大きな音を立てた
私は、慌てて、門扉にある小さな出入り口から中に逃げ込んで
 あとは、小さな覗き穴から見物した
危ないところだった(笑)

----


サイゴン郊外にあった建設現場
警備のために銃を持った兵士のアルバイトの警備員がいたのだが
一度、彼の、カービン銃を試射させてもらったことがある
十メートルほど離れたところに缶詰の空き缶を立てて
 それをターゲットに撃ってみたのである
 カービン銃というものは、騎兵銃とも言われる
 ウィキで検索してみる

----


カービン

本来のカービンとは馬上での取り回しを考慮し、
 短縮軽量化の上で背負いやすいように吊り環の位置を変更するなどした小銃であった。
また、ボルトアクション式カービンではボルトハンドルが他の装具に引っかかりにくいように、
 下方に屈曲させ、閉鎖状態で銃の側面に密着するようにしたものも多かった。
 小銃に比べ小型軽量化されたカービンは取り回しが良く、
 場所をとらないという利点がある一方、
 射撃時の反動・マズルブラスト・発射音が激しくなり、
 肝心の命中精度が低下するという欠点が生じ、銃自体の寿命も短くなるとされた。

 現在ではおおむね「小型のライフル」を意味する分類で、
 小銃を持たない下級将校や車両乗員、
 空挺部隊など装備に制限のある特殊部隊、
 市街戦や密林戦など至近距離での戦闘が想定される地域の兵士
などに装備されている。

----


もともと、騎兵が使用した軽小銃であったとあって
私の認識では、馬上での使用に向いた、 反動の少ない銃だと思っていたのだが
上のウィキの説明では
反動が大きく、発射音も大きいという

しかし、私の実射での感想は
やはり、反動が非常に小さく、発射音も小さかった

----


私は、二・三年前にベトナムを再訪した
サイゴンから数十キロの場所に「クチ」と言う観光スポットがある
そこにツアーにのって観光に行った

 クチの郊外は、一見、一面のゴムの林である
しかし、ベトナム戦争当時は、ベトコンの主要根拠地のひとつであった
米軍の空爆が激しいので
地表上には建物を築けず
地下に恐ろしく長いトンネル網を掘った

 これは、米国の空爆に悩まされた
北ベトナムそれにベトコンの対抗策である
 クチのトンネルも、スケール的には、一つの地下都市のようなもの
指令本部・病院その他、いろんな施設が揃っている
 そこから、トンネルを使って河に出たり
 かなり離れた地点で地上に上がり
 ゲリラ戦を仕掛けたのである

 このクチのゴム林の奥にはジャングルがある
 そこが観光スポットになっている
 いろんなトンネルや米軍の戦車の残骸などが残っている

ある場所に、銃の有料試射場があった

 お土産のマーケットと併設である
米国人を含む観光客が撃っている
銃は、主にソ連製の自動小銃カラシニコフである
どんな粗い扱いにも耐えるシンプルな構造で銃の歴史に残る銃である
いまだに世界中で使われている
米軍のM-16自動小銃もある
 これも米軍を支えた歴史的な銃

ところで、この試射場での銃声がすごい
耳が痛いほどの銃声である
私が今まで経験してきた小銃の音は、これほどではなかった
 ジャングルの中だから、さして反響しているわけでもない
 おそらくカラシニコフが強力な銃だから音も大きいのだろう


----


銃と言っても、ベトナム戦争で米軍によって使われたのは、M16という自動小銃である
実質、軽機関銃のような威力を持つ
 ただし、ライフルのように単発モードにしても使える

----

個人が使う火器としては、ピストル・レボルバー・拳銃もある


サイゴンには、軍人ばかりではなく
民間人、いわゆる軍属もいた
 そんはひとりのアメリカ人と私は、一時、友人だったのだが

一度、タクシーに一緒に乗って、サイゴンのバー街に飲みに行く途中
そのアメリカ人の友人がタクシーの運転手とケンカをして
 タクシーの運転手は、鉄棒で殴りかかってくる
 アメリカ人は、興奮してピストルを発射
サイゴンの一番の繁華街での出来事である
警官が駆けつけてきたら大変である
何しろ、戦時のサイゴンだから
問答無用で射殺されるかも知れない
 その時は、とにかく、命からがら逃げた

 そのアメリカ人の持っていたピストルは小型だった
 だから、撃った音も軽いものだった

彼の自宅を出る時に
彼がこのピストルを私に見せたのだが
 その時は、まさか、実際に撃つ事態になるとは想像もしなかった

----


一度、サイゴンの警官達がピストルを乱射・連射した現場にいたことがある

 ある日の夕方、日本人の友人と繁華街のナイトクラブに向かっていた
 ナイトクラブまで、あと十メートルぐらい・・・まで歩いた時
 目の前を、ミニスカートの、
そのミニスカートから小麦色に焼けた美脚の サイゴン・ガールが歩いて行く
 そのガールは、すぐ目の前のバーに、入って行った
 バーガールだったのである
彼女の、特に美脚が非常に魅力的だったので(笑)
私と友人は、そのバーに誘い込まれるように(笑)入った

 バーのカウンターで缶ビールを開けて

 まさに口元にもってゆき飲もうとした時

 天地がひっくり返るような轟音が響いた
 バーの窓やドアも振動

 
外に出てみると、最終目的地だったはずの斜め向かいのナイトクラブが煙の中

さらに近づいてみると
 ナイトクラブの壁が吹き飛んでいて
目の前の道路には
人体がバラバラに飛び散っている
既に死体なのか、まだ生きているのか?
 腕や脚のようなものも撒き散っている

大きなサイレン音が響いて
米軍のMP《陸軍警察》(military police)のジープが何台もすっ飛んできた
後部座席に機関銃の回転銃座を据え付けた戦闘用のジープである
 ジープから飛び降りたMP達が《腕の腕章でわかる》
 道路に散らばった死体?を片っ端からジープに放り込む
 サイレンを鳴り響かせながら、ジープが突っ走って行く方向は
私も患者の付き添いで寝泊まりのしたことのある、近所の
 フランス系の「パスツール病院」である

 しばらく興奮冷めやらぬ思いで道路に群衆とたたずんでいた私達だが
 その群衆を取り囲み始めたのがベトナム人の警官達である

「パ~ン! パ~ン! パ~ン! パ~ン!」

 警官達はピストルを上空に向けて、乱射するのである

私は、すぐわかった
彼らは、群衆を散らせようとしている

 というのも、ベトコンは、テロのあとに集まる野次馬を
目標にした二次テロを実行するのである

 このケースでは、例えば、
 集まった野次馬相手に、さらに、爆弾を爆発させる
 
この状況でも、警官に逮捕されてはまずい
 この戦時下だから、彼らは、少しでも怪しい人間はすぐ逮捕する
大量のスパイがサイゴンに入り込んでいるのは事実なのだから

 サイゴンが陥落してわかったことだが
私の支店の現地スタッフの半分は、ベトコンまたは北ベトナムのスパイだった

私の彼女だった女性も、北の勝利に終わった終戦後、北の幹部としてカミングアウトしたという
道理で、ブランスのお嬢様学校卒でフランス語がペラペラと言う、普通のベトナム女性ではなかった
私は、利用されただけだったのか?
私の身体も、利用されただけだったのか?(笑)
この話は、別に詳しく(笑)
 ーーーー

逮捕だけですめばいいが、射撃される危険性もある
それに
私が、サイゴンの夜の歓楽街で連夜のように飲み歩いているのは
支店長には秘密である

私達は表通りは避けて、裏道づたいに必死に逃げて
 ようやくタクシーを捕まえて宿舎に戻った
 しかし、その途中でも、兵士や、MPや、警官などが
勝手に敷いている非常警備線で止められ
現金を挟んだパスポートを見せて
 つまり、わいろだが
非常線を突破出来た

 この場合の警官のピストルの音だが
音は小さくて、軽い音

 一番、射撃音がすごいのは
 やはり、カラシニコフ

 と言う結論かな?

 次は、韓国か、グアムか、サイパンか
 そのあたりで、カラシニコフを撃ってみよう







最終更新日  2018.01.26 14:50:18
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2018.01.25
​​ベトナムでのサイゴン日記
復刻シリーズを続けている​
これが私のブログ記事では
一番、希少価値のあるものかも知れない


 
【復刻日記】

「おれとヘロインの間にさあ、何かがあってもいいような気がしたんだ」

 村上 龍著  『限りなく透明に近いブルー』

 私のリンク先、FLURさんの6日の日記のタイトルだ。
 『限りなく透明に近いブルー』は私も読んだはずなのだけれど、あまり印象に残らなかった。
そうか、ヘロインなどについても語っていたのか?

ヘロインには縁がない私だが、大昔、海外で、「ひょっとしたらあれは麻薬の一種だったのではないか?」と思う様な経験はした。

 ~~~~~~~~~

 私は入社早々、当時、ヴィエトナム戦争の戦火の中の南ヴィエトナムの首都サイゴン(今のホー・チ・ミン)に赴任した。

 赴任してしばらくして、サイゴンの繁華街に飲みに行くようになった。
 飲みに行く・・・と書くと簡単だが、実際はかなりの危険をかいくぐる事になる。

まず、宿舎の前で乗り物を拾う。
 乗り物としてのシクロ(自転車の前に座席をつけた人力車)には長距離は無理。
まあ、長距離も行けないことは無いだろうけれど、針金のように痩せているシクロの運転手を見ると不憫で長距離は頼めなくなる。

シクロマイ(バイクの前に座席をつけたような乗り物)。
これはけたたましい爆音をたてて爆走するので、暑いサイゴンの夜には快適な乗り物。

タクシー。
これはなぜか、みな決まって超小型ルノー4CV。
フォルクスワーゲン・ビートルと似た小型車。
それもそのはず、この4CVは、ドイツの国民車、フォルクスワーゲンを設計したあのポルシェ博士が、第二次大戦終了後、戦犯としてフランスに抑留されている間に設計した名車。
 日本でも日野がライセンス生産して、タクシーなどに活躍した。


 でもそれがすでに年代物になっていてボロボロ。
 床に大きな穴が開いていて、地面が見えている車もある。

 ~~~~~~~~~

ま、とにかくこのシクロマイか、ルノー・タクシーに乗ってサイゴンの、ピチピチ・ミニスカート・愛嬌度最大のサイゴン・ガールの待つ繁華街に向かうのだが、途中が危険一杯なのだ。

 治安が悪いわけではない。
 何しろ街中に兵隊・憲兵・警官が溢れているから犯罪者もそうそう自由に歩き回れない。
しかしその兵隊・憲兵・警官が随所に検問所を作っていて、これが「怖い」場所なのだ。

アト・ランダムに通行者を留めて、「怪しい者」をチェックする。
 私たち外国人だとIDとしてはパスポートを見せる事になる。
ビザはちゃんとしているし、何も不備はないはずなのだが、彼らは決まって文句をつける。
ヴィトナム語を少し話す私も、彼等の「ニャオニャオ」と聞こえるヴィエトナム語は、よく聴き取れない。
ま、彼等も私たちに聴き取れるように話しているわけでは無くて、要はお金が欲しいのだ。
 小遣い稼ぎなのだ。

それはこちらもわかっているから、パスポートを見せる時に、パスポートに紙幣をはさんで手渡す。
 目の前で堂々とはさむのだ。
それをじっと見ている彼らは「ニャオニャオ」言うのを止めて、パスポートを誠実にながめて紙幣をスッと引き抜くと「行け!」とアゴをしゃくる。

このように私は海外ながら贈賄の罪を数え切れないほど犯してきた罪人である。
 (威張る事もないか?)


この検問所の前を通過する時にチェック対象にされると「ピ~~ッ !!!」と、笛を吹かれる。
 運転手がパッと車を止めると、彼らが車に寄って来て、われわれの寄付行為をせっつく。

 普段はこれでいいのだが、中には自分の車が笛を吹かれていると言う事に気がつかない運転手がいる。
 結果的に検問拒否 → 逃走 と見られてもしょうがない。

 「ピ~~ッ !!!」「ピ~~ッ !!!」と激しく連呼?されてもまだ他の車だと思っているバカ運転手がいる。たまにいる。
そうなると兵隊・憲兵・警官のピストルや自動ライフルが火を噴く。
まあ、警告ではあるのだが、なにしろサイゴンの街は、戦場でもあるのだから、いつ本気に撃って来るとも限らない。
 少なくとも停車しなければ、撃たれるだろう。

 乗客の私は必死に運転手の方を揺すって「止めろ!止めろ!止めろ!」と連呼しながら、弾丸を避けてかがみ込む。

 実際に弾丸は私の肉体にめり込まなかったので、今こうして書いているのだが、こんな検問所が一・二カ所はあるのだ。

 兵隊検問所を通過しても、次は憲兵検問所、更に次は警官。

こういう経験を通じて、今の冷静沈着でワイロ体質の私がいる。

 ~~~~~~~~~

 話がまた回り道だが。
ようするにそーゆー危険をくぐり抜けて、美女ぞろいのサイゴン・バーで歓楽の限りを尽くして(おおげさか?)、帰路につくことになる。

 障害物競走のような検問所をくぐり抜けて宿舎でタクシーを降りる。
 男の酒の後は、ラーメンと決まっている。

サイゴンにも街にはソバ屋があって美味しいソバがたべられるのだが、宿舎は住宅地だからソバ屋は無い。
しかし、「屋台」という強い味方があるのだ。

 宿舎の近くの路地で夜泣きソバが屋台を出す。
そこで私はアルコールの酔いをさましながら、米からできたフォーというヴィエトナムうどんをすする。
だいたいは肉うどんだ。
トッピングとして、香草が必ずひとつかみ入っている。

 毎晩通っているとなじみの客と話す機会もある。
 私はその当時つたないヴィエトナム語を少し話したから(語彙は少ないが発音は正確・・・に近いと言う私の特技)、会話もなりたったのだが。

 一番仲がよくなったのはあるお爺さんだ。
この人は、私とちがって、酒を飲んでいる様子もないのにソバを毎晩食べに来る。

 「美人で若い女の子、いるでしょう? 紹介してよ」
ある晩、私の一番得意な会話に入っていった。
 「うん、その内にな・・・」

お爺さんの確約をとりつけて私はうれしかった。

 次回からは会う度に「いつ?いつ紹介してくれるの?」

そう迫り続ける私に、そのお爺さんは、ついにこう言い出した。
 「そんなに美人と会いたければ、私の家に来い」
 「行く 行く」

 私はしっぽを振りながらお爺さんの後について行った。
まもなく一軒家に着いた。

 暗闇の中ではあるが、なかなか大きな家と見えた。
 豪邸とまでは行かないが、お爺さん、資産家だね。

 部屋に通されたら、お爺さんと同年配のお爺さんが(ややこしいかな?)、二・三人テレビを見ている。
 挨拶をしてテレビを一緒に見た。

ただ、どうも若い美女がいるという雰囲気ではない。
これでは老人倶楽部ではないか?

 「お爺さん、約束の美女は?」
こう切りだそうと思った私の心を見透かしたように、屋台ソバ友人のお爺さんが手招きをする。
 黒いビロードで囲まれた小部屋に案内された。

これは立派に妖しい雰囲気といえる。
 清純な美少女と言うより、妖麗な女王系の肉体派が登場しそうだ。
 (肉体派、好きです)
 (清純な美少女を食前酒に、妖麗女王肉体派をメインというのもいいな~)
 (スケスケの黒のレースのドレスなんかで、美脚が足の付け根まで見えて・・・。)
 (いかんな、私は想像力がありすぎる)

そういうふうにウキウキしている私の目の前にお爺さんテレビ同好会の連中が入って来た。
おいおい、せっかく妖麗肉体派女王(形容詞の順番がちがっているかな?)が出てくるのにお爺さんの目の前では、することもできないではないか!!!

 激怒?する私の前に、アルコールランプと木の枕と象牙の大きなパイプが配られて。
なにやらアスファルトの様な小さな黒いかたまりを針の先に刺して、アルコールランプであぶり出した。
その溶けたものをパイプの先につけて吸って見せてくれる。

 「うまいのかい?」
うまいと保証してくれる。
 木の枕に頭を載せて寝そべって象牙のパイプを吹かす。
 味はなんだかチョコレートのようなものだった。

 「爺さんテレビ視聴・喫煙同好会(笑)を去る時に、お爺さんが「今晩は眠れないかも 吐く事もあるかも」と言う。

しかし、その夜はぐっすり眠れたし吐き気もなかった。

あのお爺さんには数度自宅に招待を受けて、喫煙のおつきあいもした。
 妖麗美女はやはり出てこなかった。
 妖麗肉体派美女のお肌の代わりに、象牙のパイプをなでるだけだった。
いまいましい。

 考えてみるとあれは阿片(オピオム)だったかもしれない。
でも習慣にはならなかった。
ならなかったから、いまの生真面目な私があるわけだが。

 ~~~~~~~~~

 中東のサウジアラビアで、水煙草を吸った。
あの長いホースのついたやつだ。
 屋外にカフェテリアのような水煙草喫煙屋があって、料金を払うと水パイプを貸してくれるのだ。
やはりチョコレートのような味がする。
 一回でかなり長期間吸う事ができる。

 吸い終わって宿舎に帰ろうとすると、ちょっとフラフラする。
しばらくは食欲が無くなる。

 一度、この店で店員が水パイプの本体部分(アラジンのランプみたいな形だが)を開いて、煙草の素?を入れている所を見つけた。
インド産と書いてある小さな缶詰の中から、いつかどこかで見たようなコールタール上のものを取りだしてパイプに詰めている。
それをカメラで撮影しようとしたら店員が大あわてで制止した。

ひょっとして、あれも阿片なのかな?
アラブでは一般の男性はみな吸っていたけれど。
それが彼らの楽しみで,水タバコ屋は社交の場でもあったけれど。

​​






最終更新日  2018.01.25 16:05:30
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2018.01.22
これからのブログ記事は、復刻記事を中心にしようと思う

私の年代でPCでブログを書く人間は少ないし
また
私の特異な体験は
一般的な記録としては残っていない

従って私の想い出記事は
昭和の歴史の一部としてそれなりに残す価値があると思う
その意味で、大げさだが、一種の使命感もある

 ーーーー

私のブログ記事の発端となった「ベトナム戦争最中のサイゴン日記」を
まず、シリーズで書いて行こうと思う

 ーーーー

その後で
私の数奇な(笑)女性体験を
書き下ろし中心で書いて行こうと思う
女性体験は、今まであまり書いてこなかったので(笑)
​​




  ーーー 復刻記事 ーーー

副題 一般人のベトナム戦争 サイゴン日記




​​サイゴンへの出発と到着​​

カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出


私が商社に入社して二年目、戦時下の南ベトナムのサイゴンへの赴任が決まった
当時、サイゴンは日本の新聞では
「砲弾が雨アラレと降る!」と報道されていた場所である

しかし、私は駐在が決まってうれしかった
海外ならどこでもいいから、行きたかった


その当時はまだ成田空港が建設されていない時代である
羽田空港からエールフランスのプロペラ機でサイゴンへ出発した
羽田へは、同じ課の全員が見送りに来た

座席に着くやいなや、鼻にかかったフランス人スチュワーデスのフランス語によるアナウンスが頭上のスピーカーから流れてきた
国内線にはそれまでも数度、搭乗したことがあったが国際線は初めてである

その国内線でさえもその時代のスチュワーデスは花形で
お嬢様学校や有名女子大卒の美人ぞろいだった
(今はバスのガイドと変わらないのかも知れないが)

ところが、このエールフランスの国際線のスチュワーデスはもっと上なのである
日本人スチュワーデスも、とてもバタくさい
激務に追われてガールフレンドもいなかった私には刺激が強すぎる「美人環境」である

       ―――― ◇ ――――

話題が飛ぶが、
よく「飛行機に乗ると不安で眠れない」と言う人がいる
私には、その心理がわからない
立派な科学者までが「あんなに重たい金属製のものが空中に浮かぶ・飛ぶと言うことが考えられない」・・・とまで暴言を吐く
 この人達の思考能力というものは救い難いではないか?

「揚力」があるでしょうが、揚力が!!」
「学校で習った揚力というものがっ!」

 私はいつも、この種の人たちをこのように、内心、密かに罵倒しているのである
申し訳ない

       ―――― ◇ ――――

前夜の徹夜の業務引き継ぎがこたえて、離陸するなりすぐに深い睡魔におそわれた

気がついた時にはもうマニラ空港である

着陸するとすぐに熱帯特有のスコールが襲来した
大粒の雨が窓を激しく打って
南国の太陽に焼けた滑走路の色がみるみる雨にぬれて黒く変わって行く

日本では見たことのない風景である

機はマニラ空港をすぐに離陸、次にはタイのバンコック空港に着いた
バンコックでは給油があって、私たちは、期のタラップを降りて
滑走路を空港のトランジットラウンジに向かって歩いた
機外に出て驚いた
それまでに経験したことが無い、息が詰まるほどの湿気と温度なのだ
すぐに体中の毛穴から汗が噴き出てきた

当時のバンコック空港は旧空港で、空調もなかった
空港全体、今まで知らなかった熱帯特有の重い湿った臭いがした
かび臭くもあった
空港の売店で名物のタイ・シルクのネクタイを買って機内にもどった

 いよいよサイゴン上空にさしかかった
 サイゴンの上空は一面に鉛色の雲におおわれていて
街はときおり雲の切れ目からチラと見えるだけである

そのうちに機は雲の下にまで降下した
スコールに濡れて鮮やかな、赤い屋根や緑の街路樹が窓一杯に広がって、どんどん近づいてきた
機はそのままユラユラ揺れながら降下を続けて、ついにサイゴン空港の滑走路にタッチダウンした

出迎えには日本系の代理店のベトナム女性が来てくれていた
テキパキとして怜悧そうである

スコールはすでにやんでいたが、
空港から宿舎への途上、すべてのものが濡れていた

赤っぽい粘土の道路も泥だらけでぬかるんでいる
両側の建物の壁も雨に濡れて湿って変色していた
その建物や道路脇に人間が並んで猿のように群れている
その人間達が半裸でこちらを見ている
南洋とはいえ、上半身裸である
 これには軽いショックを受けた

「う~~む! 遙るけくも、来たものかな~」と心の中で思った







最終更新日  2018.01.22 17:26:36
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2017.08.20

復刻記事  私のテロ体験


スペインのバルセロナでテロ発生

私は、ベトナム戦争華やかなりしころの
サイゴン(今のホーチミン)に入社してすぐ若手社員として駐在していたことがあって
何しろ『放火とどろくサイゴン』などと日本の新聞がかき立てていたサイゴンなので
生命の危険にさらされたことは幾たびもあった
その中で、ゲリラが仕掛けたテロに遭遇して
ある偶然が無ければ私自身も時限爆弾で吹き飛ばされたであろう事件もあった

2015年のパリのテロに関して書いた記事を復刻してみる



  ーーー 復刻記事 ーーー



2015.11.16 
過去ログ   私のテロ経験 


カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出


パリのイスラムテロリストによる惨殺事件に世界が震撼しているが
実は、私は、似たような経験をしている

私は、ベトナム戦争時、
 当時の南ベトナムの首府サイゴン(現在のホーチミン)に駐在中
いろいろな危険に遭遇した
今思えば、よく、生きて帰れたものだと思う

 その中で
今回のパリのテロと似た経験は
 サイゴン市内のあるナイトクラブに入ろうとした時
 共産ゲリラが仕掛けたプラスティック時限爆弾で
 そのナイトクラブが吹っ飛んだことだ

 その顛末について書いた過去ログがあるので
復刻してみることにする


   ―――― 過去ログ ――――

 2007/12/14
【復刻日記】 死のシンデレラ・タイム・【カーヒュー】


 「カーヒュー」という言葉がある。
 「curfew」 フランス語である

 ネットで調べてみよう

○ 外出禁止令(時間帯)、
○ 門限、
○ 日暮れの鐘
○ 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令
○ 未成年の深夜外出禁止法令、
○ あるいはその時間帯
○ その時間を告げる鐘やチャイムの音、
○ 夕暮れに鳴る鐘の音

 語源はフランス語の 【covrefeu】である

 これは、「cover fire」 の意味で、
 暖炉などの火を消えないように灰を被せる、いわゆる「置き火」らしい。

 私の駐在時のサイゴンは、夜12時から朝の6時まで、
 完全な夜間外出禁止令(カーヒュー)が布かれていた。

このサイゴンの場合は、単なるcurfewというより、
 下記の様に表現した方が適当かと思う。

○ a wartime curfew 戦時下夜間禁止令 とか 
○ military curfew 軍事的夜間禁止令

この外出禁止令に背いて夜間外出をするとどういうことになるか?
 夜のサイゴンには、各所に、検問をする軍隊・憲兵・警官などがいる。
 一応、推何(すいか)(何者だ?というような問いかけ)はするのだが
運が悪ければそのまま射殺されてしまう。
 夜中の急病人などはどうするのだろうと、よく考えたものだが

 当時、日本人医師が二人出向していたサイゴン病院の医師の話では、
 夜間、カーヒューの時間に撃たれ、
 腹部に数十発の銃弾を撃ち込まれた患者が運び込まれたことがあるという。

 
歓楽街に遊びに出るのはいいが、こんな事情で、
 残念ながら、サイゴンではそれも12時までだ。
いや、12時には自宅に帰宅していなければ射殺される恐れがあるのだ

~~~~~~~~~


ここまで書いてきて、私のブログのBBSをのぞいてみたら
bikeikoさん(その後、変名して今は Kelly さん)が、
 「いきなり射殺されるのでは、恐ろしくて外出できませんね」
と書いているが、
 「外出できない」では無くて
「外出してはいけない!」のだ(笑)

 以前書いたように、夜間にはヴィエトコン(共産ゲリラ)が跋扈していたり、
 極端な例では大部隊でサイゴンを攻めてきたり
(いわゆるテット攻勢といわれている)と言う状況だったから、
 夜間外出禁止令をやぶって夜間外出して居るものは
即、共産側の【敵】と見なされるのだ。
curfew というのは戒厳令の一種なのだ。
まさに、五木寛之の著書の題名ではないが、「戒厳令の夜」ということになる。

だから12時をすぎれば、軍隊のトラックや戦車以外は、
それこそ猫の子一匹通らない静寂となる。

 ~~~~~~~~~


 当時の夜遊び友達の一人に、サイゴンのある日本レストランの経営者がいた。
 彼は宿舎に麻雀に来て、麻雀が終わったら、その後、ナイトクラブに行く。
 私は、そのナイトクラブ行きに、よくつきあった。

サイゴンのナイトクラブは、大手のものが数軒あった。
 最大手はカティナ通りにあった【マキシム】である


銀座通りのような【カティナ通り】
これはフランス植民地時代のフランス風呼び名で、
ヴィエトナム名では【トゥー・ドォー】
 自由という名の通りだ。

もっと正確に言うと、
 【トゥー・ドォー】とうのは、サイゴン訛りの、南ヴィエトナム訛りの呼び名で、
ハノイの正統ヴィエトナム語でこれを呼べば【トゥー・ゾォー】と発音しなければいけない。
 (一応うんちくを披露しておこう)


この【マキシム】は正統派で大型店で、サイゴンで一番格式高い。
ショーも豪華。
 真っ暗な中に、アオザイを着たヴィエトナム美人のホステスが一杯いて、
 私達がテーブルにつくとママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて
指名のホステスを聞いてくれる。
ホステスは大抵番号で呼ばれていて
例えば「15番」という風に番号で指名する。

ヴィエトナムでは、少なくとも当時のヴィエトナムでは、
ナイトクラブにおいては
少なくとも表面的には、とてもお行儀のよい世界だった。
 言い換えれば、疑似恋愛の過程が必要な世界で
 その過程を通れば、自由恋愛の世界も開ける(笑)

その疑似恋愛の過程に於いては
 ホステスが隣に座っても、お話をするか、ダンスをするかぐらい。
ステージではヴィエトナム流行歌の歌手が、
すすり泣くような哀しげな叙情的なヴィエトナムの曲を歌う。

そんなうちに、そろそろ11時も過ぎて、カーヒューが近づくと
 われわれにとってのシンデレラ・タイム、帰宅時間となる。

 普通ならそこで慌てて帰る所なのだが、
このレストラン経営者はやっかいな性格の人で、
 最後の最後まで粘るのだ。
ホステスや従業員が帰る時になってもまだ飲みたがる。
 結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る。
 「おい!あと10分しかないよ!頼むよ!」
 必死で声をかける
彼自身もさすがに真剣になった夜の無人のサイゴンの街を爆走する。
 手に汗を握る境地だ。
 私の宿舎に着くのが12時ちょうど、だったりする。
そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ。
私を落としたあと、キキ~~!!とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る。

 後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した。
 毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい。
しかし、悪い癖は直っていなくて、ジャカルタでも真夜中までつきあわされてしまった。

 ~~~~~~~~~

 私自身が、実際に死にかけたことも数回ほどある。
その一つだが・・・。

ある晩、私は借りたバイクに乗って繁華街に出かけバーで飲んでいる内に
夜間外出禁止令の時間になりそうなので帰宅しようとした。

 宿舎近くにさしかかったところにロータリーがあって、
したたかに酔っていた私は、ロータリーの縁にあたってしまった。
ロータリーというのは丸い円形の形をした交差点を時計回りに、
または逆回りにまわるもので、もともとは西洋で馬車が交差点ですれ違うために発明された形式。
だから、ゆっくり侵入して、他の車と歩調を合わせながら今度は自分の道へ脱出してゆくようになっている。
 英国などではこのロータリー(これは米国風な呼び方で、英国では round about と呼ばれるが)が多い。

 私はスロー・ダウンしなければいけないロータリーに、
スピードを落とさずに侵入したばかりに、ロータリーの縁石にぶつかり、
そのまま空中を飛んでロータリーの向こうに飛び込んでしまった。
 映画「大脱走」のスティーヴ・マクィーン、みたいなものか?(笑)
だが、違うところは
 その飛び込んだ先が大変な所だったことだった。

そこは、米軍のバスやトラックの基地で、
その廻りには鉄条網が張り巡らされていて、
 頭上には通常、監視塔があり、その中には監視兵がいた。
 私はその鉄条網に飛び込んでしまって、 全身鉄条網に切り裂かれてしまった。
 幸運にもその時には監視兵がいなかった。

その頃、バイクに爆弾を積んだ女性が米軍基地に突入する
 いわゆる「ホンダ・ガール」という今で言う自爆テロがあって、
その時の状況なら私が「ホンダ・ガール」と見なされて射殺されても仕方がない所だった。
 ホンダボーイでもいいのだが(笑)

タイヤが空転して、ガソリンタンクからガソリンがこぼれているバイクを引き起こして、
 全身、鉄条網で切り裂かれて、血まみれで宿舎に戻った。

 翌朝サイゴン病院に行って日本人医師に治療を頼んだが、
 元獣医のこの医者は「そんなもの傷のうちに入らない」といって傷口を縫合してくれなかった。
だから今も私の身体にはいまでも鉄条網の傷跡がいっぱい残っている。
ハッキリわかるのは左腕の大きな傷口だけだけれど。

これ以降、私は車の運転をあきらめて、長い間車を運転しなかった。

 ~~~~~~~~~


 【死にかけた話】はいくらでもあるんだけれど、
 今日はもう一つ「死に損なった」話をしよう。


ある時、私はある仲のよかった日本人エンジニアと一緒に
 ヴィエトナムの有名歌手が出演する、サイゴン市内のあるクラブへ歌を聴きに行こうとしていた。
そのクラブは、サイゴンの目抜きの、カティナ通りにあった。
サイゴン河の川岸でタクシーを降りて、そこから、私たちはクラブの方へ歩いて行った。

もう少しでクラブという所で、私達の前を小麦色の脚をしたミニスカートの美少女が横切った。
 当時はミニスカート全盛の時代だったし、暑い気候のサイゴンではなおさらだった。
ミニスカートをはく少女というのは、フランス系の女学校のお嬢さんか、バーガールが多かった。

そのミニスカートの魅力的なお嬢さんはすぐ近くのバーに入っていった。
 彼女はバーガールらしい。
それなら、サイゴンティーさえおごればお話相手になってくれるはずだ。
サイゴンティーは、所場代なのだ。

 私達は以心伝心、二人でそのバーに飛び込んだ。

 彼女にサイゴンティーをおごって、会話を交わしていると、
 突然、大音響と共に足の底から突き上げるような振動が走った。
 私が握っている缶ビールが波打つほどのものすごい衝撃だった。
 瞬間、何が起こったのかわからなかったが
 しばらくして、外が騒がしくなった。

 出てみると、入るはずだった目と鼻の先のあのクラブから煙が出ている。

 近づいてみると、そのクラブの建物は、中身を抜いたマッチ箱のようになっていた。
 窓ガラスもすべて破れ、壁も歪んでいる。

 道路には人間の身体やバラバラの手足が散乱している。

ゲリラの仕掛けたプラスティック時限爆弾が爆発したらしい。

ものすごいサイレンの音を響かせながら
米軍の憲兵のジープが何台も現場に飛び込んできた。
 昔、テレビでラット・パトロールという
第二次世界大戦のアフリカの砂漠を舞台に、
ジープでドイツ軍を攪乱する米国の部隊の活躍を描いたものがあった。
そのテレビ映画に登場するジープと同形のものが
 このサイゴンの米国MP(陸軍憲兵)に使用されていた。
 後部座席に回転する機関砲座を備えたジープである。

このジープにMPが人間、または、屍体を片っ端から放り込んで、
すぐ近くのフランスのパスツール病院に向けて突っ走っていった。

われわれが、ぼんやりして、野次馬の群れに入っていると
突然、警官が数人現れた。
 彼らはなにやら大声で叫ぶと、空に向けて一斉に拳銃を乱射しはじめた

私は、その理由をすぐ理解した
共産ゲリラは時限爆弾をしかけ、
 爆発した現場を見ようと集まる野次馬めがけて二次攻撃をかけるという。
 警官はそれを防ごうと群衆を威嚇しているのだ。
 近くにいた人間が殴られたり、つかまえられたりしている。

 必死で群衆の中を逃げた。
ここで捕まるわけには行かない。
 かなり離れた通りまで走り出て
 ようやく空いたタクシーをつかまえると、
 宿舎向けて全速力で走ってもらった。

 宿舎に帰って、二人でビールを飲みながらも、
しばらく二人は無言だった。

あの時、あのバーガールにひかれて、
あのバーに立ち寄っていなければ、
 私達はあのクラブの爆発に巻き込まれていた訳だ。

 負傷ですんだか? それとも運悪く【即死】していたか?
それはわからない。
 人間の運命とはわからないものだとしみじみ思った。
それに本件もまた(笑)、支店長に明かすわけにはゆかない。
 自己責任としておこう。

この重い暗い秘密を背負ったまま(笑)、
 私はまた毎夜、夜のサイゴンのバー街に出かけた。


  ーーー ◇ ーーー


別の話だが

やはり、サイゴンでの事
朝、事務所でコーヒーを飲みながら
現地の英字新聞朝刊(夕刊はないのだが)(笑)
をノンビリ読んでいたら
ある記事が目についた

「サイゴン中心部で、米兵バー爆破される
 死者・米兵一名」

「へ~え またなの?」
と思いながら、そのバーの名前を知って驚いた
「ホワイト・プッシー」!!

私が、よく飲みに行くバーじゃないか!!

いや、昨晩、私は、ひとりで、そこで飲んでいたのだ!!

ただし、ハシゴがくせの私は、
そのバーは、早めに切り上げて、他のバーをハシゴしていたのだが

その後、夜遅く、運の悪いGIが・・・


う~~~~~ん!
これこそ、
危機一髪!!

しかし
これを知られると
サイゴンの米兵バーで飲んではいけないといつも言っている
支店長に、どれだけ叱られるか

そうおもって
私は
だれにも
なんにも言わずに
平静を装って
コーヒーを飲み干したのであった

  ーーー ◇ ーーー

こんなに何度も死にかけても
サイゴンでの私は、毎日が天国のように楽しかった
若いと言うことはすごいことかもしれない








最終更新日  2017.08.20 03:37:06
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2017.05.04
過去ログを復刻してみることにする

過去ログ復刻 「私の銃体験 ベトナム戦争」 

私は、ベトナム戦争華やかなりしころ、
南ベトナムの首府サイゴン(今は地名変更でホーチミン)に赴任していた
サイゴンでは、何度も死に損なったのだけれど
その中でも『銃・ライフル・拳銃』に関する経験の記事を復刻



   ―――― 復刻記事 ――――
2012.08.28
私の銃体験 ベトナム戦争

カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出

銃社会の米国とちがって、銃所持が厳しく規制されている日本では
銃を手にしたり、実弾を発射したりの経験がある人は少ないだろう
しかし、韓国やハワイなどでは、実射できる場所(店)があるし
ベトナムでも、ある場所で、実弾射撃が出来る有料射撃場があった
私は、ベトナム戦争の最中、
ベトナムのサイゴン(今のホーチミン)に駐在していたから
実射の経験もあるし、
撃たれた事もある(笑)
射撃には慣れっこになってしまった
そんな、銃体験を思い出してみる
   ―――― ◇ ――――
戦時中のベトナムでは、宿舎がサイゴンの街の少し外れの
交通が激しく、警備の厳しい交差点に面していた
実はそこは、交通の要所の一つで
警察と軍隊が非常線を張っていて
夜には、何度も、警告射撃の音が響いていた
怪しいバイクを見つけると、兵士や警官がピ~~とホイッスルを吹く
止まらなければ、威嚇射撃なのである
それでも止まらなければ、実弾発射である
初めはビクッとしたが、すぐ慣れた
とは言え、私の二階の部屋の窓の下でバンバン撃つのだから
読書中とか、昼寝中にはびっくりする(笑)
----
サイゴンは、そのころ昼間は南ベトナム政府が
夜間はベトコン(南ベトナム解放戦線)が支配していると言われていた
だから、南ベトナム政府としては
サイゴンに潜むベトコンと北ベトナムのスパイ摘発に懸命だったのである
夜間はカーフュという夜間禁止令が出ていて
外出するものは、問答無用で射殺される
サイゴン病院にある日本人医師を訪ねて行ったら
ちょうど、夜間に撃たれた人間が運び込まれてきていた
日本人医師によると
腹部に何十発もの銃弾が撃ち込まれていたそうである
----
事実、サイゴンの街の中では、プラスティック時限爆弾をつかったテロは
日常茶飯事だった
私が昨日、飲んでいたバーが
翌朝の朝刊でみると、時限爆弾で爆破され
米兵がひとり、死亡している
・・・などは、ザラだった
----
一度、宿舎の前の交差点の向かい側にあった仏教寺院で
僧侶達が反政府のデモをした
その頃は、仏教徒達が反政府だった
ヘルメットに防弾チョッキ
完全武装の兵士達が大勢駆けつけて
寺院めがけて自動小銃のオート・モードで大量の威嚇射撃をしていた
単なる威嚇だけでは無かった
あれでは、負傷者も出たのではないか?
紛争は夜になっても続いていて夜間になると、
兵士が発射する自動小銃の銃弾に含まれている
照準を修正するための照明弾が
赤いアイスキャンデーのように夜空の中の仏塔に流れた
私は、宿舎の門扉のところでそれを見物していたのだが
私があまりにも無責任で、楽しんで、見物モードになっていたのか(笑)
腹を立てたらしい兵士の一人が、私めがけて撃ってきた
ピュン!と弾丸が私の足下に着弾して
コンクリートがくだけて、煙のようなものが上がった
弾丸は厚い鉄製の門扉に当たって、ガキ~ンと大きな音を立てた
私は、慌てて、門扉にある小さな出入り口から中に逃げ込んで
あとは、小さな覗き穴から見物した
危ないところだった(笑)
----
サイゴン郊外にあった建設現場
警備のために銃を持った兵士のアルバイトの警備員がいたのだが
一度、彼の、カービン銃を試射させてもらったことがある
十メートルほど離れたところに缶詰の空き缶を立てて
それをターゲットに撃ってみたのである
カービン銃というものは、騎兵銃とも言われる
ウィキで検索してみる
----
カービン
本来のカービンとは馬上での取り回しを考慮し、
短縮軽量化の上で背負いやすいように吊り環の位置を変更するなどした小銃であった。
また、ボルトアクション式カービンではボルトハンドルが他の装具に引っかかりにくいように、
下方に屈曲させ、閉鎖状態で銃の側面に密着するようにしたものも多かった。
小銃に比べ小型軽量化されたカービンは取り回しが良く、
場所をとらないという利点がある一方、
射撃時の反動・マズルブラスト・発射音が激しくなり、
肝心の命中精度が低下するという欠点が生じ、銃自体の寿命も短くなるとされた。
現在ではおおむね「小型のライフル」を意味する分類で、
小銃を持たない下級将校や車両乗員、
空挺部隊など装備に制限のある特殊部隊、
市街戦や密林戦など至近距離での戦闘が想定される地域の兵士
などに装備されている。
----
もともと、騎兵が使用した軽小銃であった
だから、私の認識では、馬上での使用に向いた、
反動の少ない銃だと思っていたのだが
上のウィキの説明では
反動が大きく、発射音も大きいという
しかし、私の実射での感想は
やはり、反動が非常に小さく、発射音も小さかった
----
私は、二・三年前にベトナムを再訪した
サイゴンから数十キロの場所に「クチ」と言う観光スポットがある
そこにツアーにのって観光に行った
クチの郊外は、一見、一面のゴムの林である
しかし、ベトナム戦争当時は、ベトコンの主要根拠地のひとつであった
米軍の空爆が激しいので
地表上には建物を築けず
地下に恐ろしく長いトンネル網を掘った
これは、米国の空爆に悩まされた
北ベトナムそれにベトコンの対抗策である
クチのトンネルも、実質、一つの地下都市のようなもの
指令本部・病院その他、いろんな施設が揃っている
そこから、トンネルを使って河に出たり
かなり離れた地点で地上に上がり
ゲリラ戦を仕掛けたのである
このクチのゴム林の奥にはジャングルがある
そこが観光スポットになっている
いろんなトンネルや
米軍の戦車の残骸などが残っている
ある場所に、銃の有料試射場があった
お土産のマーケットと併設である
米国人を含む観光客が撃っている
銃は、主にソ連製の自動小銃カラシニコフである
どんな粗い扱いにも耐えるシンプルな構造で
銃の歴史に残る銃である
いまだに世界中で使われている
米軍のM-16自動小銃もある
これも米軍を支えた歴史的な銃
ところで、この試射場での銃声がすごい
耳が痛いほどの銃声である
私が今まで経験してきた小銃の音は、これほどではなかった
ジャングルの中だから、さして反響しているわけでもない
おそらくカラシニコフが強力な銃だから音も大きいのだろう
----
銃と言っても、ベトナム戦争で使われたのは
自動小銃である
実質、軽機関銃のような威力を持つ
ただし、ライフルのように単発モードにしても使える
----
個人が使う火器としては、ピストル・レボルバー・拳銃もある
サイゴンには、軍人ばかりではなく
民間人、いわゆる軍属もいた
そんはひとりのアメリカ人と私は、一時、友人だったのだが
一度、タクシーに一緒に乗って、サイゴンのバー街に飲みに行く途中
そのアメリカ人の友人がタクシーの運転手とケンカをして
タクシーの運転手は、鉄棒で殴りかかってくる
アメリカ人は、興奮してピストルを発射
サイゴンの一番の繁華街での出来事である
警官が駆けつけてきたら大変である
何しろ、戦時のサイゴンだから
問答無用で射殺されるかも知れない
その時は、とにかく、命からがら逃げた
そのアメリカ人の持っていたピストルは小型だった
だから、撃った音も軽いものだった
彼の自宅を出る時に
彼がこのピストルを私に見せたのだが
その時は、まさか、実際に撃つ事態になるとは想像もしなかった
----
一度、サイゴンの警官達がピストルを乱射・連射した現場にいたことがある
ある日の夕方、日本人の友人と繁華街のナイトクラブに向かっていた
ナイトクラブまで、あと十メートルぐらい・・・まで歩いた時
目の前を、ミニスカートの、
そのミニスカートから小麦色に焼けた美脚の
サイゴン・ガールが歩いて行く
そのガールは、すぐ目の前のバーには行って行く
バーガールなのである
非常に魅力的だったので(笑)
私と友人は、そのバーに誘い込まれるように(笑)入った
バーのカウンターで缶ビールを開けて
まさに口元にもってゆき飲もうとした時
天地がひっくり返るような轟音が響いた
バーの窓やドアも振動
外に出てみると、最終目的地だったはずのナイトクラブが煙の中
さらに近づいてみると
ナイトクラブの壁が吹き飛んでいて
目の前の道路には
人体がバラバラに飛び散っている
既に死体なのか、まだ生きているのか?
腕や脚のようなものも撒き散っている
大きなサイレン音が響いて
米軍のMP《陸軍警察》(military police)のジープが何台もすっ飛んできた
後部座席に機関銃の回転銃座を据え付けた戦闘用のジープである
ジープから飛び降りたMP達が《腕の腕章でわかる》
道路に散らばった死体?を片っ端からジープに放り込む
サイレンを鳴り響かせながら、ジープが突っ走って行く方向は
フランス系の「パスツール病院」である
しばらく興奮冷めやらぬ思いで道路に群衆とたたずんでいた私達だが
その群衆を取り囲み始めたのがベトナム人の警官達である
「パ~ン! パ~ン! パ~ン! パ~ン!」
警官達はピストルを上空に向けて、乱射するのである
私は、すぐわかった
彼らは、群衆を散らせようとしている
というのも、ベトコンは、テロのあとに集まる野次馬を
目標にした二次テロを実行するのである
このケースでは、例えば、
集まった野次馬相手に、さらに、爆弾を爆発させる
 
この状況でも、警官に逮捕されてはまずい
この戦時下だから、彼らは、少しでも怪しい人間はすぐ逮捕する
大量のスパイがサイゴンに入り込んでいるのは事実だから
サイゴンが陥落してわかったことだが
私の支店の現地スタッフの半分は、ベトコンまたは北ベトナムのスパイだった
逮捕だけですめばいいが、射撃される危険性もある
それに
私が、サイゴンの夜の歓楽街で連夜のように飲み歩いているのは
支店長には秘密である
私達は表通りは避けて、裏道づたいに必死に逃げて
ようやくタクシーを捕まえて宿舎に戻った
しかし、その途中でも、兵士や、MPや、警官などが
勝手に敷いている非常警備線で止められ
現金を挟んだパスポートを見せて
つまり、わいろだが
非常線を突破出来た
この場合の警官のピストルの音だが
音は小さくて、軽い音
一番、射撃音がすごいのは
やはり、カラシニコフ
と言う結論かな?
次は、韓国か、グアムか、サイパンか
そのあたりで、カラシニコフを撃ってみよう






最終更新日  2017.05.04 18:42:02
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2016.09.18
ちょっと忙しいので更新をサボり
過去ログでお茶を濁そう
と言って
別に毎日、更新しなければならない義理もないのだが(笑)

まあ、そういっちゃ~、おしまいだよ(笑)

この、破滅型の米国人
今、どうしているかな?
気に掛かる男だ

過去ログ あらためて、サイゴンの寂しいアメリカ人

私は、若い頃、サイゴン(今のホーチミン)に駐在していたことがある
ちょうど、ベトナム戦争たけなわでベトナムは
○ サイゴンを首都とする南ベトナムと
○ ハノイを首府とする共産主義国である北ベトナム
に分かれ、長い戦争をしていた

サイゴンの街は,昼は南ベトナム政府が支配しているが
夜は、共産ゲリラ・ベトコンが支配していると言われた戦火の街だった

以降は,過去ログを読んでください)

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最終更新日  2016.09.18 18:46:16
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2015.11.16
パリのイスラムテロリストによる惨殺事件
世界が震撼しているが
実は、私は、似たような経験をしている

私は、ベトナム戦争時、
当時の南ベトナムの首府サイゴン(現在のホーチミン)に駐在中
いろいろな危険に遭遇したが
今思えば、よく、生きて帰れたものだと思う

その中で
今回のパリのテロと似た経験は
サイゴン市内のあるナイトクラブに入ろうとした時
共産ゲリラが仕掛けたプラスティック時限爆弾で
そのナイトクラブが吹っ飛んだことだ

その顛末について書いた過去ログがあるので
復刻してみることにする


   ―――― 過去ログ ――――

2007/12/14
【復刻日記】 死のシンデレラ・タイム・【カーヒュー】


「カーヒュー」という言葉がある。
「curfew」 フランス語である

ネットで調べてみよう
○ 外出禁止令(時間帯)、
○ 門限、
○ 日暮れの鐘
○ 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令
○ 未成年の深夜外出禁止法令、
○ あるいはその時間帯
○ その時間を告げる鐘やチャイムの音、
○ 夕暮れに鳴る鐘の音

語源はフランス語の 【covrefeu】である

これは、「cover fire」 の意味で、
暖炉などの火を消えないように灰を被せる、
いわゆる「置き火」らしい。

私の駐在時のサイゴンは、夜12時から朝の6時まで、
完全な夜間外出禁止令(カーヒュー)が布かれていた。

このサイゴンの場合は、単なるcurfewというより、
下記の様に表現した方が適当かと思う。

○ a wartime curfew 戦時下夜間禁止令 とか 
○ military curfew 軍事的夜間禁止令

この外出禁止令に背いて夜間外出をするとどういうことになるか?
夜のサイゴンには、各所に、検問をする軍隊・憲兵・警官などがいる。
一応、推何(すいか)(何者だ?というような問いかけ)はするのだが
運が悪ければそのまま射殺されてしまう。
夜中の急病人などはどうするのだろうと、よく考えたものだけれど。

当時、日本人医師が二人出向していたサイゴン病院の医師の話では、
夜間、カーヒューの時間に撃たれ、
腹部に数十発の銃弾を撃ち込まれた患者が運び込まれたことがあるという。

歓楽街に遊びに出るのはいいが、こんな事情で、
残念ながら、サイゴンではそれも12時までだ。
いや、12時には自宅に帰宅していなければ
射殺される恐れがあるのだ

~~~~~~~~~


ここまで書いてきて、私のブログのBBSをのぞいてみたら
bikeikoさん(その後、変名して今は Kelly さん)が、
「いきなり射殺されるのでは、恐ろしくて外出できませんね」
と書いているが、
「外出できない」では無くて
「外出してはいけない!」のだ(笑)

以前書いたように、夜間にはヴィエトコン(共産ゲリラ)が跋扈していたり、
極端な例では大部隊でサイゴンを攻めてきたり
(いわゆるテット攻勢といわれている)と言う状況だったから、
夜間外出禁止令をやぶって夜間外出して居るものは
即、共産側の【敵】と見なされるのだ。
curfew というのは戒厳令の一種なのだ。
まさに、五木寛之の著書の題名ではないが、「戒厳令の夜」ということになる。

だから12時をすぎれば、軍隊のトラックや戦車以外は、
それこそ猫の子一匹通らない静寂となる。

~~~~~~~~~


当時の夜遊び友達の一人に、サイゴンのある日本レストランの経営者がいた。
彼は宿舎に麻雀に来て、麻雀が終わったら、その後、ナイトクラブに行く。
私は、そのナイトクラブ行きに、よくつきあった。

サイゴンのナイトクラブは、大手のものが数軒あった。
最大手はカティナ通りにあった【マキシム】である

銀座通りのような【カティナ通り】
これはフランス植民地時代のフランス風呼び名で、
ヴィエトナム名では【トゥー・ドォー】
自由という名の通りだ。

もっと正確に言うと、
【トゥー・ドォー】とうのは、サイゴン訛りの、南ヴィエトナム訛りの呼び名で、
ハノイの正統ヴィエトナム語でこれを呼べば【トゥー・ゾォー】と発音しなければいけない。
(一応うんちくを披露しておこう)


この【マキシム】は正統派で、サイゴンで一番格式高い。
ショーも豪華。
真っ暗な中に、アオザイを着たヴィエトナム美人のホステスが一杯いて、
私達がテーブルにつくとママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて
指名のホステスを聞いてくれる。
ホステスは大抵番号で呼ばれていて
例えば「15番」という風に番号で指名する。

ヴィエトナムでは、少なくとも当時のヴィエトナムでは、
ナイトクラブにおいては
少なくとも表面的には、とてもお行儀のよい世界だった。
言い換えれば、疑似恋愛の過程が必要な世界で
その過程を通れば、自由恋愛の世界も開ける(笑)

その疑似恋愛の過程に於いては
ホステスが隣に座っても、お話をするか、ダンスをするかぐらい。
ステージではヴィエトナム流行歌の歌手が、
すすり泣くような哀しげな叙情的なヴィエトナムの曲を歌う。

そんなうちに、そろそろ11時も過ぎて、カーヒューが近づくと
われわれにとってのシンデレラ・タイム、帰宅時間となる。
普通ならそこで慌てて帰る所なのだが、
このレストラン経営者はやっかいな性格の人で、
最後の最後まで粘るのだ。
ホステスや従業員が帰る時になってもまだ飲みたがる。
結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る。
「おい!あと10分しかないよ!頼むよ!」
必死で声をかける
彼自身もさすがに真剣になった夜の無人のサイゴンの街を爆走する。
手に汗を握る境地だ。
私の宿舎に着くのが12時ちょうど、だったりする。
そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ。
キキ~~!!とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る。

後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した。
毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい。
しかし、悪い癖は直っていなくて、ジャカルタでも真夜中までつきあわされてしまった。

~~~~~~~~~

私自身が死にかけたことも数回ほどある。
その一つだが・・・。

ある晩、私は借りたバイクに乗って繁華街に出かけバーで飲んでいる内に
夜間外出禁止令の時間になりそうなので帰宅しようとした。

宿舎近くにさしかかったところにロータリーがあって、
したたかに酔っていた私は、ロータリーの縁にあたってしまった。
ロータリーというのは丸い円形の形をした交差点を時計回りに、
または逆回りにまわるもので、もともとは西洋で馬車が交差点ですれ違うために発明された形式。
だから、ゆっくり侵入して、他の車と歩調を合わせながら今度は自分の道へ脱出してゆくようになっている。
英国などではこのロータリー(これは米国風な呼び方で、英国では round about と呼ばれるが)が多い。

私はスロー・ダウンしなければいけないロータリーに、
スピードを落とさずに侵入したばかりに、ロータリーの縁石にぶつかり、
そのまま空中を飛んでロータリーの向こうに飛び込んでしまった。
映画「大脱走」のスティーヴ・マクィーン、みたいなものか?(笑)
だが、違うところは
その飛び込んだ先が大変な所だったことだった。

そこは、米軍のバスやトラックの基地で、
その廻りには鉄条網が張り巡らされていて、
頭上には通常、監視兵がいた。
私はその鉄条網に飛び込んでしまって、
全身鉄条網に切り裂かれてしまった。
幸運にもその時には監視兵がいなかった。

その頃、バイクに爆弾を積んだ女性が米軍基地に突入する
いわゆる「ホンダ・ガール」という今で言う自爆テロがあって、
その時の状況なら私が「ホンダ・ガール」と見なされて射殺されても仕方がない所だった。
本多ボーイでもいいのだが(笑)
タイヤが空転して、ガソリンタンクからガソリンがこぼれているバイクを引き起こして、
全身、鉄条網で切り裂かれて、血まみれで宿舎に戻った。

翌朝サイゴン病院に行って日本人医師に治療を頼んだが、
元獣医のこの医者は「そんなもの傷のうちに入らない」といって傷口を縫合してくれなかった。
だから今も私の身体にはいまでも鉄条網の傷跡が残っている。
ハッキリわかるのは左腕の大きな傷口だけだけれど。

これ以降、私は車の運転をあきらめて、長い間車を運転しなかった。

~~~~~~~~~


【死にかけた話】はいくらでもあるんだけれど、
今日はもう一つ「死に損なった」話をしよう。


ある時、私はある仲のよかった日本人エンジニアと一緒に
ヴィエトナムの有名歌手が出演する、サイゴン市内のあるクラブへ歌を聴きに行こうとしていた。
そのクラブは、サイゴンの目抜きの、カティナ通りにあった。
サイゴン河の川岸でタクシーを降りて、そこから、私たちはクラブの方へ歩いて行った。
もう少しでクラブという所で、私達の前を小麦色の脚をしたミニスカートの美少女が横切った。
当時はミニスカート全盛の時代だったし、暑い気候のサイゴンではなおさらだった。
ミニスカートをはく少女というのは、フランス系の女学校のお嬢さんか、バーガールが多かった。

そのミニスカートの魅力的なお嬢さんはすぐ近くのバーに入っていった。
彼女はバーガールらしい。
それなら、サイゴンティーさえおごればお話相手になってくれるはずだ。
サイゴンティーは、所場代なのだ。
私達は以心伝心、二人でそのバーに飛び込んだ。

彼女にサイゴンティーをおごって、会話を交わしていると、
突然、大音響と共に足の底から突き上げるような振動が走った。
私が握っている缶ビールが波打つほどのものすごい衝撃だった。
瞬間、何が起こったのかわからなかったが
しばらくして、外が騒がしくなった。
出てみると、入るはずだったあのクラブから煙が出ている。

近づいてみると、そのクラブの建物は、中身を抜いたマッチ箱のようになっていた。
窓ガラスもすべて破れ、壁も歪んでいる。

道路には人間の身体やバラバラの手足が散乱している。
ゲリラの仕掛けたプラスティック時限爆弾が爆発したらしい。

ものすごいサイレンの音を響かせながら
米軍の憲兵のジープが何台も現場に飛び込んできた。
昔、テレビでラット・パトロールという
第二次世界大戦のアフリカの砂漠を舞台に、
ジープでドイツ軍を攪乱する米国の部隊の活躍を描いたものがあった。
そのテレビ映画に登場するジープと同形のものが
このサイゴンの米国MP(陸軍憲兵)に使用されていた。
後部座席に回転する機関砲座を備えたジープである。

このジープにMPが人間、または、屍体を片っ端から放り込んで、
すぐ近くのフランスのパスツール病院に向けて突っ走っていった。

われわれが、ぼんやりして、野次馬の群れに入っていると
突然、警官が数人現れた。
彼らはなにやら大声で叫ぶと、空に向けて一斉に拳銃を乱射しはじめた

私は、その理由をすぐ理解した
共産ゲリラは時限爆弾をしかけ、
爆発した現場を見ようと集まる野次馬めがけて二次攻撃をかけるという。
警官はそれを防ごうと群衆を威嚇しているのだ。
近くにいた人間が殴られたり、つかまえられたりしている。

必死で群衆の中を逃げた。
ここで捕まるわけには行かない。
化なり離れた通りまで出て
ようやく空いたタクシーをつかまえると、
宿舎向けて全速力で走ってもらった。

宿舎に帰って、二人でビールを飲みながらも、
しばらく二人は無言だった。
あの時、あのバーガールにひかれて、
あのバーに立ち寄っていなければ、
私達はあのクラブの爆発に巻き込まれていた訳だ。

負傷ですんだか? それとも運悪く【即死】していたか?
それはわからない。
人間の運命とはわからないものだとしみじみ思った。
それに本件もまた(笑)、支店長に明かすわけにはゆかない。
自己責任としておこう。

この重い暗い秘密を背負ったまま(笑)、
私はまた毎夜、夜のサイゴンのバー街に出かけた。







最終更新日  2015.11.16 22:06:21
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2015.09.18
過去ログの再録


「見たこともないほどの、ものすごい美人がそこに立っていた」

私がサイゴン(今のベトナムのホーチミン)に赴任して一週間経過した日曜日
中国系のメイドが私を呼びに来た。
「シーサン お客ですよ」

「シーサン」というのは広東語で「先生」。
「ミスター」とか「旦那さん」とか言う意味だ。

赴任したばかりの私にお客とは不思議に思ったが、出てみて驚いた。
見たこともないほどの、ものすごい美人がそこに立っていたのだ。

   ―――― ◇ ――――

ここで、ちょっと、説明

ヴィエトナム女性は平均して容貌が非常にかわいい。
かならずしも「美人」ではなくて、まずほとんどの女性が可愛い

性格も明るくて、とても愛嬌がある。
それにアオザイが似合うほどだからホッソリとした柳腰。
竹久夢二が泣いて喜ぶ・・・?タイプが多い。
ヴィエトナムに来た日本人の男性はかならずヴィエトナムの女性が気に入る。
例外は、無いと言ってもいい

「仏領インドシナ三国」というのがある。
「仏印」ともいう

ヴィエトナム、カンボジア、それにラオスの三ヶ国だ。
私の見るところでは、ヴィエトナムと他の2ヶ国は人種的に異なる。
ヴィエトナム人は非常に小柄なキン族という民族で、骨格はきゃしゃだ。
みなさんがご存じのヴィエトナム女性の民族衣装でアオザイというのがある。
あんな身体にピッタリの衣装が似合う・・・
と言うより着用できるのはきゃしゃでほっそりしたヴィエトナム女性ぐらいだろうと思う。

これに対してカンボジア人は骨太でガッチリした骨格である。
クメールというアンコールワット遺跡を作った民族がいるが、
カンボジア人は明らかにクメールの末裔だ。
ラオスもそうらしい。
それにその隣のタイ人もクメール系の血が濃いと思う。
言語的にはラオス語はタイ語の田舎弁という程度の類似したグループに属する

かわいいくてホッソリしたヴィエトナム女性が旧宗主国のフランス人と混血すると、
アジア最強?の美人が出来る。

フランスは世界各国の植民地でフランス式の瀟洒な並木道と売春宿を作ったと言われている。
そのせいもあるのか?それともフランス人の男性がかわいいヴィエトナム女性と結婚したケースが多いのか?ヴィエトナムにはフランス人との混血が多い。
さすがに地方にはあまり多くないようだが、サイゴンなどの都会には多い。


   ―――― 説明終わり ――――


私を訪問?してきた女性は、典型的な「フランス+ヴィエトナム混血美人」だった。
恐る恐る彼女と話をしてみると、彼女は親しかった「トニー」を訪ねてきたと言うことだ。
その「トニー」なるアメリカ人はジェット戦闘機のパイロットだという。
「なるほど」と思った。

私の宿舎は以前、米国の空軍将校の宿舎だったという話を聞いていたからだ。
私が入室した部屋が、トニーの部屋だったらしい
サイゴン入りした私が、最初、私の部屋を割り当てられて
クローゼットを開けて私の衣類を詰め込もうとしたら、
クローゼットの引き出しから
機関銃のものらしい長い弾丸が、バラバラっと出てきたことがある。

「トニーは今はここにはいない」
「ここにいるのは、みな、日本人だ」
と説明すると、
「それならそれでいい。私はここのバーに働いているから遊びに来てくれ」
と言って、あるバーのアドレスをくれた。

とにかくこの彼女は、素晴らしい美人だった。
ヴィエトナムよりフランスの血の方が強い西洋的な美人で、
しなやかでほっそりとはしているが背が高くて、大きな瞳が牝鹿の様だった。

その夜、遠くで遠雷のように大砲がとどろく戦時のサイゴンの暗闇の中、
私はそのバーを訪問すべく外出した。
いままで外出の経験もないのに、いきなり単独外出
私は、勇敢なのか? 女好きなのか?(笑)

タクシーを拾おうとしたが来ないので
通りかかった、シクロマイを止めて乗り込んだ
シクロマイ、というのは、
東南アジアの乗り物の共通なカラフルな色柄の人力車の座席の後ろに
かなり大排気量の単車をくっつけた乗り物で、
けたたましい爆音とマフラーからの煙をたなびかせながら
文字通り疾走する、一種、勇壮とも言える(笑)乗り物

タマリンドの木陰を、静謐に哲学的に、陰のように動くシクロ(人力車)とは
構造的には相似だが、性格的に対照的なのである

操縦者も
シクロマイの運転手は、探検隊風のヘルメットをかぶり精悍で大柄な男が多い
シクロの運転手は、針金のようにやせ細っている

シクロマイの運転手に
彼女から手渡されたアドレスのメモを見せると、うなずいた
瞬時に私は、けたたましい爆音と共に
暗闇のサイゴンの夜の底へと向かった

そのバーは、サイゴンの中心部からはやや外れた
タンソンニュット空港近くの、荒ずんだ地区の暗闇の中にあった
近所に、同じような、原色のネオンサインが点滅するバーが
数軒、軒を連ねている

シクロマイから降りると
その西部劇に出て来るバーの様なたたずまいの店の内部から
けたたましい軽音楽が響いている

ドアを押して入ると
中には、カウボーイではなくて
カーキ色の軍服にブーツのGI達が立ち並んで、ビールをラッパ飲みしていた
戦場から直に帰還したばかりと見えて
腰に拳銃を付けていて、着剣している兵士もいる

天井のミラーボールがまぶしい

兵隊達の群れの中を進んでカウンターに到着
カウンターの中では、あでやかなサイゴンガールが立ち並んで出迎える
民族衣装のアオザイの女性もいるし
胸を大きく露出したドレスの女性もいる

その中に、彼女が、いた
探さなくても、ひときわ美しく輝いている
この世のものとは思えない

「へロー」
彼女が、微笑みかけながら、私に近づいてきた

   ―――― 続く ――――


   ―――― 個人的に ――――

以前に、この私の「ベトナム戦争シリーズ」の記事に
「alex99さんの、ベトナムものは、非常に、貴重な資料である」
と言うご意見を戴いた

確かに、考えて見れば
ベトナム戦争当時のサイゴンを活写したものは

・ 開高健・本多勝一のようなジャーナリスト
・ 石川洋一氏のようなフォートジャーナリスト

に、限られて、一般人が書いたものは無い
私も、いままで、いろいろ、ブログなどを探してみたが
そういうものは、見当たらなかった

これには、事情がある
当時は、まだ、民間の、個人のフリージャーナリスト
という職業が存在していなかったことと

もうひとつ、ベトナム戦争に於けるサイゴンの状況が
朝日新聞の一連の報道の影響で
「ベトコンからの砲弾が、町中に雨あられと降り注ぐ」
または
テト攻勢の影響で
「ベトコンゲリラが市街に潜入して米軍と死闘を繰り広げている」
というイメージが、一般に流布されていたことが影響して

「サイゴンは、一般人がとても立ち入り出来ない危険地帯」
と思い込まれていて、
一般の人間、ましてや観光客などがサイゴンに入ることは
ほぼ、皆無、出会ったこと
などが影響して入るのであろうと思う

この私だって、社命がなければ
まさか、サイゴンに行こうとは
まして、駐在しようとは、思わなかった、わけであるし

そういう意味合いを考えて見れば
私の、この十年以上のブログ記事の中で
ある程度の、価値のある部分は
このサイゴン駐在日記、ぐらいかも知れない

開高健・本多勝一の立ち位置とは、またちがう
一般人、商社駐在員からの視点
なのであるから

ということで(笑)
時間があれば
また、思い出に浸りたいこともあり
サイゴンの思い出を復刻してみたい

まあ、あれこれ講釈するよりも
サイゴンでの女性とのおつきあい・・・に似たもの(笑)
を書いたものなど
社命での報道記者には、書けなかった部分だろうと思う

その点、私のサイゴン記事には、
サイゴンの女性についての鋭い考察(笑)や
時によっては、淡い交流(笑)などが混入していて
その意味でこそ、貴重かも知れない

あの懐かしくも魅力的なサイゴンガールズを
記録にとどめたものは
私の記事しかないのだ(笑)

   ―――― 危険だったのか? ――――

サイゴンは、危険だったのか?

結論から言えば

やはり、非常に危険だった

その人の行動様式にもよると思うが

私など
戦車・軍用車とすれ違う片道一車線の
軍用ハイウエイを通って工事現場を往復する日は、
現実的に、毎秒ごとに、死と隣り合わせ

サイゴン市内でも、
テロの現場に遭遇して、九死に一生を得たり
軍隊と僧侶の交戦に出会ったり
個人的なケンカにまきこまれたり
市内には、郊外から時計仕掛けのロケット弾が打ち込まれてくるし

私自身も、何度も、死にそこなった

夜は、女性の誘惑があるし(笑)
私の彼女が実は女性スパイだったらしいし・・・

まさに
魑魅魍魎の世界だった

二・三回、作戦に従軍取材しただけの
開高健の「ベトナム戦記」など
「甘い 甘い」
と言えるのは、私ぐらいか(笑)








最終更新日  2015.09.20 12:23:59
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