次男と私が夕食を食べた後に、長男も夕食を食べに来ていた。
次男は、風呂に入って、夕食を食べて、私のリクエストの応じて、私の足の裏を踏んで、自宅に帰って行った。
帰る前に、TVのリモコンを操りながら、「お、この映画。。。」と言うので、ワンシーンだけチラリと見たのは、映画「私の中のあなた」
初めて母親役に挑戦したキャメロン・ディアスの演技や重いテーマに真正面から取り組んだ主題など、評価が高い映画であると知っているけれど、先に生まれた子を助けるために、わざわざ次の子を「作る」という感覚を嫌悪する気持ちが私にはあるので、見ようとは思わなかった。
あらすじ:11歳の少女アナは、白血病の姉に臓器を提供するドナーとして、遺伝子操作によってこの世に生まれた。母サラは愛する家族のためなら当然と信じ、アナはこれまで何度も姉の治療のために犠牲を強いられてきた。そんなある日、「もうケイトのために手術を受けるのは嫌。私の体は、自分で守りたい」と、アナは突然、両親を相手に訴訟を起こす。しかし、その決断にはある隠された理由があった…。
この先はネタバレ:なにがなんでも長女を救おうとする母親には、長女の疲れが見えない。家族の疲れも許せない。学校をドロップアウトする長男、たび重なる輸血、移植で苦痛を強いられる次女、失読症の次男は寄宿舎付きの学校へ転校させられた。長女が次女に訴訟をおこしてほしい。。。と頼んだのだ。
長男が、私の足の裏を踏んでくれて帰ったあと、いそいで消してあったTVをまたオンにして、「私の中のあなた」を途中から最後まで見た。
重篤な病をえると、本人はもちろん家族の負担は大きい。
長女の死によって、悲しみや喪失感が襲ってきたと思う。
その後には、適切な言葉が浮かばないけれど、ある種の安堵感、解放感もあったのではないかと思う。
かといって、家族を失った悲しみが無くなるわけではない。
長男には、「次男を育てるために、自分には犠牲になった部分がある。」という想いが少なからずあるのだろう。
それはある。
負担でないわけはない。
母親の私は、次男と同年代の自閉症、知的障害の青年と会う機会がある。
次男と比較にならないほど知能が高くても、会話に不自由がなくても、いっしょに居ることが、とても厳しい人がたくさんいることも知っている。
長男にとっては、次男が唯一知りえる障害者で、私が唯一知りえる障害者の母親なのだ。
キャメロン・ディアスが演じた母親ほどではなくても、私にも見えてない部分がある。
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最終更新日
2010.09.05 23:06:36
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