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2022.06.08
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カテゴリ:自閉症関連







​日本での障がい者のあつかい~明治から終戦にかけて​




この記事は、

精神病(現在の発達障害や精神疾患)の患者が近代の日本で、
どのようなあつかいを受けていたかをまとめたものです。

残虐な表現もございますので、
心臓の弱い方やPTSDの症状がある方は閲覧をお控えください。

癲狂院ができるまで(明治初期)

江戸時代では精神病患者は
「きつねつき」や「祟り」であると思われていました。

幕末から明治にかけて少しづつですが、
精神病に関わる機関が設置されていきました。

当時の癲狂院(てんきょういん)が現在の精神病院になります。

1872年に京都癲狂院の設置が認可され、
1875年に開業後に作業療法もおこなわれていたが、
1882年に地方財政の悪化により廃止となりました。

なお、明治時代の癲狂院には富裕層しか入院できず、
庶民は後述する私宅監置されていました。

相馬事件

癲狂院に関する事件としては「相馬事件」というものがあります。

旧中村藩主の相馬元胤(そうま としたね)氏が
24歳のとき(1876年)に精神変調になり、
その後、
自宅で監置と東京府癲狂院への入院をくり返し、
40歳のころに自宅で死亡しました。

相馬元胤氏の家来である錦織剛清(にしごり たけきよ)氏らは
「殿様の病気は財産を狙った陰謀」
だと1883年ごろに訴えを起こし、
1887年には相馬氏を癲狂院から脱走させたりもした。

また、相馬氏が亡くなった翌年に錦織氏が
「相馬元胤の死因は毒殺ではないのか」
と告訴しましたが、
証拠がなかったため錦織氏自身が
虚偽申告の罪で有罪となりました。

この事件は国外にも
「日本では精神病患者は無保護の状態にある」
として報道されたのです。

治療無き監禁

明治に入り、日本でも徐々に精神病患者の入院治療が進む中、
逆の出来事が起き始めます。

1900年に「精神病者監護法」が施行されたのです。

この法律は、
現在の都道府県知事にあたる地方長官に許可をえれば、
責任者(多くは父母や戸主)が対象者を
私宅に監置できるというものでした。

障がい者は監置室に入れられ、
より一層社会から切り離される状態となりました。

監置室は2坪以下のものが大半で、
窓も少なく薄暗い環境です。

なおかつ、拘禁具などの使用も許可されていたため、
かなり過酷な環境でした。

また、病院(癲狂院)に入院できたとしても、
実際には適切な治療がおこなわれず
監禁されることもありました。

この時期から治安維持の下、
障がい者(社会不適合者)を「拘束」「隔離」する風潮が高まり、
現代における障がい者への偏見に繋がったのです。

1914年「精神病院法」が施行されました。

私宅監置の根絶を目指し、
精神病院を設置しようと
うながしました財源の捻出が難しくなり、
病院の設置は進みませんでした。


入院が私宅監置を上回ったのは
1924年のことでしたが、
精神病院以外でも
拘束できる監置できる規定があったため、
私宅監置は戦後まで続きました。

この法律が改訂され
「保護拘束規定」が廃止された
1965年(沖縄では1972年)のことで、
それまで合法的に障がい者の拘束が認められていたのです。

戦争と障がい

開戦直後や戦時中は、
知的障害者は徴兵制度から免れていましたが、
戦況が過酷になるにつれ
補充二等兵として現地に駆り出されていました。

駆り出された戦地では人間的な扱いはされず、
犬や猫のように扱われていた例もあります。

もちろん、恩赦なども与えられませんでした。
過酷な戦場でボロボロにされた挙句放り出され、
二次障害を患った例もありました。

戦争とPTSD

戦地でのストレスによる精神疾患を総称し
「戦争神経症」と呼ばれていました。

症状は「不眠」「うつ」「幻聴」「けいれん」「歩行困難」
などがありました。

当時の日本軍は
「戦争への恐怖で発症する兵士はいない」
と表向きでは発表していましたが、
実際には千葉県にあった国府陸軍病院で
患者の治療がおこなわれていました。

大戦終結後、心に傷を負った兵士が
戦争や関連する公務が原因と認められれば、
国が治療費を負担してくれました。

治療が戦後20年以上続いた例もありました。

おわりに

現在では発達障害や精神疾患を患った方に向けた治療や、
社会参加の枠組みが整ってきました。

しかし、近代の日本では現状では考えられないほど
悲惨な扱いを受けていたのです。

現代では、ここまで悲惨な状態ではありせん。

しかし、差別意識は未だに残っていると感じます。

こういった過去を多くの人が知ることで、
障害の有無にかかわらず、
平等に過ごせる社会になっていけたらと思います。

​<​[障害者.com]​​​






年月の重み、またここまでの道のりの長さを感じますね。

これからの歩みにも期待したいものです。​☄


















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Last updated  2022.06.21 06:34:19
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