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2011.12.12
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カテゴリ:苦難の20世紀史

 近影2

今回で継続戦争の話は終わりです(雑談的なものはあると思いますが)。
思いもかけず長い話になってしまいました(苦笑)。

グスタフ・マンネルヘイム元帥の大統領就任後、フィンランドはソ連と本格的な講和交渉に入りました。

1944年8月25日、ソ連はフィンランド休戦交渉団のモスクワ受け入れを表明しました。しかしソ連が提示した講和条件は、フィンランドにとって過酷なものでした。

・両国の国境は、1940年に定められたラインとする。
・フィンランド領内にいるドイツ軍部隊を、1944年9月15日までに全て武装解除、もしくは追放する。
・ペッツァモ地方をソ連に割譲する。
・1944年11月1日までに、フィンランド軍部隊の戦時動員体制を解除する。
・6年以内に、6億ドル相当の物資をソ連に賠償として引き渡す。
・ポルッカラ半島を、ソ連軍の軍事基地として提供する。
・欧州の戦争が終結するまで、フィンランドの軍事基地をソ連軍に提供する。
・連合国の要請に応じて、戦争犯罪人を処罰する。

というものでした。

特に無茶なのが、9月15日までにドイツ軍を武装解除もしくは追放するというもので、同じ連合国であるイギリスからも批判されたため、期日を3週間延長しました。

わずかながら猶予は得たものの、ラップランドに駐留するドイツ第20山岳軍22万名は、短期間で狭隘なラップランドの道を約1千キロも通ってノルウェーに脱出するのは不可能でした。

そのためフィンランド軍は昨日までの戦友ドイツ軍と、望まぬ戦いの末に追い出す必要に迫られました。

9月7日、フィンランド代表団がモスクワ入りしましたが、ここで代表団は約一週間足止めされることになります。

理由はイギリス(一応フィンランドとは戦争状態になっていたため、講和会議に呼ばれていました)が、ソ連の過酷すぎる講和条件に異議を唱え、激しい応酬を続けていたからです。

交戦国とはいえ、イギリスはフィンランドに同情的で一度も戦闘はしていません(形式的な戦闘は何度か行っています。イギリスの爆撃機が何度もフィンランド領内を爆撃していますが、事前に情報をフィンランドに伝えており、「迎撃」に出てきたフィンランド戦闘機に誘導され、無人の原野に爆弾を落として帰るという「戦闘」が、継続戦争中繰り返されていました)。そのため発言権は無いに等しいものでしたが、イギリス代表団は執拗に食い下がりました。

ソ連もこの時点でイギリスとの関係悪化を望んでいなかったため、賠償金を半分の3億ドルに減らすことをしぶしぶ同意しますが、領土割譲要求撤回は頑として応じませんでした。

この辺、賠償金より土地の確保にこだわるソ連という国の体質がよく分かりますね。

一方で、ソ連は軍事基地として提供を要求してきたポルッカラ半島以外に、ソ連軍を進駐させないことを明言しています。

一見するとフィンランドの主権に配慮しているかに見えますが、実はスターリンとソ連軍上層部のフィンランドへの恐怖が原因でした。

もしソ連軍が進駐すれば、フィンランド人たちの苛烈な反ソ抵抗運動が起きるかもしれません。タリ=イハンタラからイロマンティまでの戦いで、いまだフィンランド兵の強さが侮れないことを、ソ連軍は身にしみて知っています。鎮圧に手間取ればドイツとの戦争の後、イギリスやアメリカの干渉を招くかもしれません。

それがきっかけで米英と戦争になったら、ソ連は崩壊するかもしれないという恐怖が、フィンランド進駐を断念させることになったのです。

もしソ連軍が進駐してきたら、フィンランドもソ連の属国となった東欧諸国と同じ末路になっていたかもしれません。それを回避するきっかけを作ったという意味でも、1944年6月・7月のフィンランド軍の善戦は、無駄ではなかったのです。

かくして1944年9月19日、モスクワ休戦協定が成立し、フィンランドは荒れ狂う世界大戦の嵐から、なんとか抜け出す事が出来ました(とはいっても、平和がすぐに訪れた訳ではなく、今度はドイツとの戦争、ラップランド戦争が待っていますが)

厳しい講和内容ですが、滅亡寸前だったフィンランドにとっては奇跡と言っていい話でした。
日本もドイツも、講和の動きはありましたがいずれも失敗し、無条件降伏を余儀なくされています。第2次世界大戦で連合国側と講和に成功し、国土を他国の軍隊に占領されることを免れた枢軸国は、フィンランドただ一国なのです。

さて、継続戦争の話の最後にあたり、フィンランドの犠牲者数について触れたいと思います。

冬戦争と継続戦争、ラップランド戦争という3つの戦争で死亡したフィンランド軍人・軍属の死者・行方不明者は8万3694名、一般市民の数は2001名に及びます。

人口370万人のフィンランドにとって、戦争の傷はとても大きいことがうかがえます(戦争で父親もしくは母親を失った孤児は5万人に上ったと言われています)

数字を見ると、軍人の犠牲者数に比べて民間人の死者が少ないことに気がつきます。

民間人の犠牲者数が軍人に匹敵するほど多かった第二次世界大戦の中で(参考までに日本の犠牲者数は約310万人で、内軍人は約230万人、民間人は約80万人、ドイツは犠牲者数約515万名の内、軍人は約285万名、民間人は約230万名です)、このフィンランドの状況もまた奇跡といっていい話だと思います。

これは絶望的な状況下でも、最後まで諦めることなく戦い抜いたフィンランド軍将兵たちの奮戦で、国土の大半が戦火に巻き込まれる事を免れた点、適切なタイミングで講和にこぎ着けられた外交上の勝利によって得られた成果でした。

皮肉な話ですが、戦争を避けてソ連に併合されたバルト三国では、併合後のソ連の弾圧と、独ソ戦の狭間で約200万人の犠牲者を出した上に、約50年間ソ連による力ずくの支配を余儀なくされます。

剣をとって戦ったフィンランドの方が犠牲者が少なかったという事は、人も国の運命も、結果の計りがたさを感じさせます。

もう一つ格式張ったことを言うなら、民主共和制国家の軍隊の存在意義は、国民の生命と財産を守ることにあります(たいていは建前ですけどね)。

まさにフィンランド軍は、文字通り国民の盾となり、その役割を全うしたことが、犠牲者数から読み取れそうです。

と言うわけで、継続戦争の話はこれで終わりです。次からはドイツとのラップランド戦争をなるべく簡単にまとめつつ、大戦後のフィンランドのあゆみについて書いていきたいと思います。






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Last updated  2012.01.15 11:08:52
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