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アラビア書道とその周辺

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2007.08.05
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カテゴリ:カテゴリ未分類
大阪でアラビア書道を教えているJEUGIAがあるセルシーは、千里ニュータウンと呼ばれる日本で一番初めて団地ができた地域の中心にある商業施設です。今でいう商業コンプレックスの走りかもしれませんが、ちょうどここが35周年記念ということで、開発当時から現在に至るまでの航空写真を展示されるとともに『千里ニュータウン年表』が展示されていました。この年表を見るとこの街の栄枯盛衰が一目で分かるように纏まっていました。

千里ニュータウンは1962年(昭和37年)に入居が開始しました。ちょうど名神高速道路も開通し、2年後の1964年に東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業しています。66年には街の人口は5万人を越え、そのわずか三年後の69年には10万人を突破しました。

大阪万博が開催された70年には、地下鉄御堂筋線が延長されて北大阪急行と名前を変えて、直接都心からそのまま乗り入れ、いっきょに便利になったところで、千里ニュータウン事業が完了しています。

そして、72年にこのセルシーがオープンし、75年には128,993人とピーク人口に達します。私が大学生の時で、この恩恵を受けて実家の近くにも新駅ができたりし、最高に便利になりました。ここまでが栄盛です。

ところがここで大きな問題が出てきます。マイカーブームです。豊かな緑と住居の共存を目指していた街だったのですが、駐車場スペースがほとんどなかったため、急遽、駐車場をつくることになりました。その結果、日本の自然100選にも選ばれた竹林がどんどん削られ、開発されることになります。そして、いわゆる団地サイズに造られた間取りは、ライフスタイルの変化に伴い、手狭になってきます。

1988年にバブル景気を背に一戸建てへの建て替えが活発化し始めます。90年にはモノレールが一部完成し、交通の便は更に良くなるものの、人口は97年には10万人を割り込みます。2005年には65歳以上の高齢化率が25%を突破し、2006年には9万人を切っています。

私はこの千里ニュータウンの近くで生まれ育ったので、この街の栄枯盛衰を見ながら育ったことになります。ただ正確に言うと、“栄盛”の部分のみしか見ておらず、その後は、東京、横浜に住むことになりました。

今年からJEUGIAで講座を開くとともに、この街に戻ってくることになり、改めて街を見ることになりました。週末はそれなりに賑わっていますが、入居している店が余り変わり映えしないというか、一昔前の店という感じがします。周辺の箕面や茨木には大型のコンプレックスがどんどんできて、魅力ある新しい店がたくさん入っています。当然、車をもった世代はそちらの方へ行ってしまいます。結局、団地に残った老齢世代と、子育て真っ最中世代だけがこのセルシーにやってくることになります。

ミニバブルが始まり、新たなマンションが近くに建ち始めているので、また人口が増えるかも知れませんが、古い団地は老朽化が目立ちます。
これらの団地を一旦壊して新しい街造りをしなければならない時期に来ていると思いますし、行政もそう考えているとは思いますが、先立つものが必要です。同時期に開発された東京の多摩ニュータウンなどもみんな同じ状況になっていると聞きます。

20年、30年先の街作りを予想し、計画するという難しさを感じます。

ちょうど、セルシーの中央にあるイベント広場でフォークソング大会が開催され、それを懐かしんで聞いているおじさんたちがパラパラと座っているのが印象的でした。





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最終更新日  2007.08.06 07:45:54
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