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テーマ:介護・看護・喪失(5172)
カテゴリ:9.介護日記
東京拘置所の間取りや調度を紹介して、ホリエモンは今こんなところで何を思って生活してるのでしょう・・・などの報道を観て、いい気持ちはしません。
つい先日までは、やいのやいのと持ち上げておいて、いざこうなるとそれ見よがしに落ちぶれた姿を見世物にするというか、若いもんにマネーゲームなんかに走るとこういう目に遭うんだぞ、という見せしめのようでもあり・・・。 確かに・・・ご自身は違法性の意識は薄かったとはいえ、多くの人々を欺いていたという自責の念はないんかいな!と言う思いも一杯。 自分さえ良ければ、自分さえゲームに勝てば、自分さえトップになれるのなら、という貧困な発想しかない経営者だったということでしょうか。。 いかに要領よく、早く、ライバルに勝つか、だけに集中できるということは、生育過程の環境も大きく影響しているような・・・。 午後、義父の病院まで行ってきました。 話すという働きも食べるという働きも逸してしまった今・・・、ぽっかりと開いた口を見つめていて、淋しさが溢れてきます。 大きな声で話しかけましたら、少し分かって下さったのか、2回ほど頷かれたような気がして、こんなささいな反応でも小さな満足を覚えて、帰りの電車に乗りました。 私達はおかげさまで、両家の両親がまだ健在、4人とも今まで病に臥せったということもなく、いつまでも親って元気なものとノホホンと来てしまったのだな・・・ということを感じます。 自分もまた、いずれ通る道。 どのような終焉を迎えるのか、今から、心構えのみならず全身の、周囲の、環境の、選択をして準備をしていかないと・・・考えさせられます。 いかに生きるかは、いかに死を迎えるか、に、自然につなげていけるようにしたいものです。 その間にも、周囲の縁者の生き様を応援し、見守り、支え、というお役目も自然体で果たしていこうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私も、ああいう報道には違和感よりも強いものを覚えます。
ほんと、おっしゃるとおり、あんだけ持ち上げておいたくせに。 そして、感情的な部分にばかり訴えての番組構成。 きちんと筋道を冷静に明らかにしていく報道を継続的に行ってほしいものです。 「死を迎える」。。。現代日本ではあまりに自分達に引き寄せて語られることが少なすぎるように感じます。これだけは必ずいつか自分も通る道。なのに、多くの人は降ってわいたことかのように突然うろたえはじめ、整理できない感情のままに動き回ります。 そういう方が増えてきた。そう感じます。 (2006.01.25 23:18:27)
あゆみさん
>私も、ああいう報道には違和感よりも強いものを覚えます。 >ほんと、おっしゃるとおり、あんだけ持ち上げておいたくせに。 >そして、感情的な部分にばかり訴えての番組構成。 >きちんと筋道を冷静に明らかにしていく報道を継続的に行ってほしいものです。 > >「死を迎える」。。。現代日本ではあまりに自分達に引き寄せて語られることが少なすぎるように感じます。これだけは必ずいつか自分も通る道。なのに、多くの人は降ってわいたことかのように突然うろたえはじめ、整理できない感情のままに動き回ります。 >そういう方が増えてきた。そう感じます。 ----- 「死を迎える」・・・そう言えば、自分のこととして語るという機会をあえて延期にするほど、「今しかない」という世相ですね。 でも意外にも、「死」を原点に「今」を見つめ返したら、生き方にもっと広い選択肢と充実と集中と許し・・・が生まれてくるような気がします。 この歳になって、ようやくそんなことを考えるようになりました。 (2006.01.26 14:15:36)
どう生きるかはどう死ぬかに繋がっていますし、どう死ぬかはどう生きてきたか・・・なのですよね。
人間は誰しも生れ落ちた瞬間から「死」に向かって生きてるわけですが、若いときはそんなことに気がつかず・・・気がついたときには人生の半分を過ぎているんですよね。 私なんて、なおさら、どう死ぬか・・・考えておかないといけませんね。死ぬときは選べないから、せめて、後を濁さず・・・と思いつつ、まだまだ先のこととのほほんとしています。 それにしても、ホリエモンの報道の仕方、本当に腹が立ちます。お金になれば何でもいいって言うのは、マスコミのほうですよね! 節操のないマスコミにほとほと嫌気が。こんなことを続けているとホリエモン言うところの「テレビも(新聞も)不要」って日が来てしまうかも知れません。 お義父さま、きっと判っておいでです。たとえ意識が薄れていても、家族の励ましは耳に届いているものです。どうか、お大事に。 (2006.01.26 17:22:31)
ハマのコモモちゃんさん
>どう生きるかはどう死ぬかに繋がっていますし、どう死ぬかはどう生きてきたか・・・なのですよね。 > >人間は誰しも生れ落ちた瞬間から「死」に向かって生きてるわけですが、若いときはそんなことに気がつかず・・・気がついたときには人生の半分を過ぎているんですよね。 >私なんて、なおさら、どう死ぬか・・・考えておかないといけませんね。死ぬときは選べないから、せめて、後を濁さず・・・と思いつつ、まだまだ先のこととのほほんとしています。 > >それにしても、ホリエモンの報道の仕方、本当に腹が立ちます。お金になれば何でもいいって言うのは、マスコミのほうですよね! >節操のないマスコミにほとほと嫌気が。こんなことを続けているとホリエモン言うところの「テレビも(新聞も)不要」って日が来てしまうかも知れません。 > >お義父さま、きっと判っておいでです。たとえ意識が薄れていても、家族の励ましは耳に届いているものです。どうか、お大事に。 ----- 「死ぬときは選べないから、せめて、後を濁さず・・・」 そうなんですよね・・・最近になってようやくこのことに気がついた次第です。 でも、それはそれでよしとして、この世でのお役目の終わるときということで、無心に受け止めることはできそうです。 ありがとうございます。 きっと判って聴いていて下さる、確かにそう思うことができました。 (2006.01.27 20:04:24) |
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