テーマ:プロ野球全般。(13396)
カテゴリ:社会人野球
もっと詳しく書くと、後藤孝志、木田勇、金森栄治、鈴木康友。
実は、先日のブログでも少し触れた北越BC(ベースボール・ チャレンジ)リーグという来年4月に開幕する独立リーグ4チーム の監督たち。ある意味、名の通った選手たちを監督に据えることが でき、まずまずのスタートと言えそう。 ■新潟アルビレックス監督・・・後藤孝志氏 中京高-読売。ガッツ溢れるプレーと「自打球」の多い左打者。 引退後には1Aタンパヤンキースでコーチ業の修行に勤しんでいた。 Wikipediaによると、読売の選手ではあるが、名古屋出身だけに 大がつくほどの「中日」ファン。 応援歌『燃えよドラゴンズ』は最新版まですべて歌えるのに、 読売の応援歌『闘魂こめて』はまったく歌えない。 小学生時代は、捕手として近藤真市(享栄高-元・中日)と バッテリーを組んでいたらしい。 ■信濃グランセローズ監督・・・木田勇氏 横浜一商高(現・横浜商大高)-日本鋼管-日本ハム-大洋-中日。 ルーキーイヤーの1980年は22勝8敗4セーブ、 防御率2.28の驚異的な成績で、新人王やMVPなどの タイトルを総なめしたが、以降はどちらかというと尻すぼみ だった。 Wikipediaによると、 日ハム時代のチームメイト、江夏豊氏は木田をこう評したという。 「愛すべき男だったが、自分の型に固執しすぎた。それが二年目 以降伸び悩んだ原因だろう」。 引退後にサラリーマンを経験するが、評論家などでプロ野球界に 戻っていた。 ■石川ミリオンスターズ監督・・・金森栄治氏 PL学園高-早稲田大-プリンスホテル-西武-阪神-ヤクルト。 この金森、「死球」の多さで有名だった選手。 「西の達川、東の金森」と呼ばれていた。 Wikipediaによると、 早稲田時代は捕手、一学年上の山倉和博氏(元・読売)の控えに まわることが多かった。4年生になってからは正捕手。 現阪神監督・岡田彰布氏の後の5番を打ち、78年春季リーグでは 首位打者を獲得した。 現役引退後はヤクルト、西武、阪神、ソフトバンクなどのコーチを 歴任した。もって生まれた謙虚な性格は、広岡達朗氏や野村克也氏 などの「クセモノおじさん殺し」の武器でもあり、2人には非常に かわいがられているそうだ。 ■富山サンダーバーズ監督・・・鈴木康友氏 天理高-読売-西武-中日-西武。 この鈴木康友、ボクは彼の高校時代から知っている。というより、 ずば抜けたセンスをもった選手で当時から注目されていた。 現役引退後は西武、巨人、オリックスでコーチ、そしてここ2年間は、 茨城ゴールデンゴールズのコーチを務めていた。 今夏の埼玉高校野球。鈴木氏は息子さんが捕手を勤める立教新座高 の応援のため、よく球場にも足を運んでいた。 先日このブログに書いた宮地克彦。ソフトバンクから2度目の戦力外 通告を受け新たな道を探していたが、鈴木康友氏が監督の富山サンダ ーバーズのコーチに就任することが決まった。 いつもご協力をありがとうございます。 人気ブログランキングに参加中です。 クリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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