戦力外通告を受けた選手名が、先日報道されていた。
ボクが気になったのは中日・小山良男(横浜高-亜細亜大-JR東日本)。
小山、今後は中日のブルペン捕手になるらしい。
小山といえば、横浜高時代には松坂大輔(現・レッドソックス)と
バッテリーを組み、亜細亜大時代には木佐貫洋(現・読売)の女房役
だった。
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これまでブログに書いた記事から、小山の高校・大学時代を振り返る。
横浜高時代。
(1)【2007年7月12日】 → ブログはこちら。
高校1年の夏、 甲子園のアルプススタンドにいた松坂。
隣りに立ち、一緒に横浜高ナインを応援する小山に声をかけた。
「3年生になったら、一緒にここ(甲子園)で優勝しような!」
と当たり前のように呟やき、再びグラウンドに目をやったという。
いきなり声をかけられ、
「そんな大それたことを、なぜ平気で言うのだ?」
平然とグラウンドを見つめる松坂を見て、小山は不思議に思ったらしい。
でも実際に、この2人はバッテリーを組み、2年後の98年春と夏の甲子園
を制することになったのだから不思議ではある。
※ちなみに、小山や松坂らでさえベンチ入りできなかったのに、
同じ1年生で唯一グラウンドに立っていた選手がいた。
先日の日本シリーズで日本一に貢献した後藤武敏(現・西武)がその人。
亜細亜大時代。
(2)【2007年12月7日】 → ブログはこちら。
木佐貫が亜細亜大進学を決心するキッカケに、実は小山の存在があった。
高校3年夏に甲子園優勝を決めた直後、亜細亜大進学を決めていた小山。
ある日、木佐貫を積極的に歓誘していた亜細亜大のコーチに打ち明けられた。
「鹿児島にすげぇピッチャーがいるんだ。こいつは松坂以上
かもしれんぞ。木佐貫という名前なんだが、そんなヤツの球を受けてみたい
と思わないか?」
小山、面識がまるでないのに、さっそく木佐貫の自宅に電話をした。
「オレ、亜細亜大に決めているからさ。一緒に頑張ろうぜ」
受話器を握り締めたまま、木佐貫は大感激する
「甲子園で優勝した捕手・小山から直々の誘いがあるなんて・・・」
翌日には学校で、小山から電話があったことを友人たちに自慢して回ったという。
(3)【2008年6月30日】 → ブログはこちら。
小山、意外なエピソードがある、
それは「松坂のキャッチャー」と呼ばれることを嫌うものの、
「(亜細亜大時代の)木佐貫のキャッチャー」と呼ばれることに
誇りを感じるのだという。なぜだろう?
※小山の気持ちを憶測してみた。
「松坂は、小山と出会った時点ですでに完成した投手だった。だから小山自身が
どんなに頑張っても、松坂への評価を上回ることはなかった。でも木佐貫は違う。
木佐貫を育てるのに小山自身が貢献したという自負もある。だから小山としては、
木佐貫に対してのほうが愛着を感じる・・・・」
ま、そんなところかな?
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