昨日(12日)行われたオリックスvs西武戦のこと。
■以下、日刊スポーツより。
調子が悪いなりにも抑えるから負けない。西武岸孝之投手(24)が6回を6安打
3失点と粘り、開幕6連勝を飾った。開幕から6戦全勝は53年の西鉄川崎以来、
チーム56年ぶり。昨年から続く連勝を12に伸ばし、得意のオリックス戦も7連勝。
「制球が全然ダメだったけど、銀仁朗がうまくリードしてくれた」と女房役に感謝した。
(以上、日刊スポーツ)
開幕から6連勝。岸孝之(名取北高-東北学院大)が絶好調だ。WBCに出場
した投手の何にもが故障を抱える中、惜しくも最終選考で落選した岸にとって今季
は雪辱を果たす一年になるのかもしれない。
◇岸孝之の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「WBC岸孝之の高校大学時代」 (2009.2.11) → こちらへ。
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日刊スポーツの記事には、
「開幕から6戦全勝は53年の西鉄川崎以来、チーム56年ぶり」
と書かれていた。西鉄の川崎といえば、川崎徳次を指すことはわかった。
だけど川崎という投手がいったいどんな選手だったか、実はボクはよく知らなかった。
調べてみたら、川崎徳次という人は新たな記録尽くめの豪快な選手だった。
(以下、主にwikipediaを参考にした)
日刊スポーツの記事にあった「開幕6連勝」のほかに、こんな記録ももっていた。
・1948年、最終回のピンチに救援で登板したが、その初球を本塁打された。
それが逆転サヨナラ本塁打となり、プロ野球史上初の「1球敗戦投手」になった。
・1949年、1試合で被本塁打8、13失点を喫したものの、自らが3本塁打を含む
4安打9打点の打撃を見せ、勝利を収めた。この試合で記録した1試合3本塁打は
投手として史上初、9打点は当時のプロ野球新記録だった。
※wikipediaによると、この試合まで川崎は1本も本塁打など打ったことのない
選手だったという。
・1949年オフ、西鉄クリッパーズ(西鉄ライオンズの前身)創設時には、それまで
在籍していた巨人を自ら離れて西鉄に移籍。監督候補者を探していた球団の意を
受け、当時巨人の監督を追われ総監督という「名誉職」に甘んじていた三原脩
を西鉄に招き入れたのも、この川崎が仕掛けたことだった。
もしこの時、川崎が西鉄に三原を呼んでいなければ、西鉄ライオンズの黄金時代
はそもそもなかったかもしれなかった。川崎、創成期のプロ野球界を育てた重要
人物だったのだ。
◇三原脩の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「歴代・名監督達の相関関係(2)」 (2009.5.6) → こちらへ。
「物議を醸した三原脩のホームスチール」 (2009.5.4) → こちらへ。
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