テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:ロサンゼルスライフ
カッピー出動!@東本願寺
と言っても、KIKIの2試合目がLAKEWOODで 終わってから行ったので、ホンの20分程度しか、お披 露目出来なかったのだけど。 フダンはご無沙汰している関係者の家族としての、せめ てものご奉仕。少しでも出来てよかった。 去年もやっぱり二人のテニスのトーナメントが終わって から、リトル東京にある東本願寺の盆踊りに参加した。 去年はキッコロとモリゾーだったんだよね。 それで踊りの輪に入って踊ってた二人。 それにしても、いつ来ても、このロスでの盆踊り、心に 染みます、すべての風景が。 だって、今ではカービーと同じ年代の輪番(和尚さんなんだ けど、こっちではこういう呼び方をする)で、このイベント のMCもみんな英語。 来ている人の90%が英語で話してるのに、ほとんど日本人 の顔。 この光景を初めて見たのは、20年近く前。 メキシコに子供を産みに行く途中に寄ったロス。 まだ当事は元気だったカービーのお母さんとその再婚相手で あるマヌエルに、毎週のように連れられて行ったのだった。 時差ボケと、妊娠7ヶ月の身で、連れて行かれる車の中は ほとんど白昼夢状態で、着いたら、突然、この光景。 「Oh,Mrs.○○○、うちの息子のガールフレンド(まだ 当事は籍を入れてなかった)なのよ。彼女は日本からなの」 そう私を紹介しながら、1世や2世の日本語の話せる人達 と会わせてくれたハツ(お義母さんの名前ーいつもファースト ネームで呼んでた)。 その人達の顔ももうほとんど見ることがなくなった最近のお盆 だが、未だに私を覚えてくれてる人もいる。 懐かしい顔に、ハツの思い出が蘇る。 ハツの名前を聞いただけで、目頭を押さえる人もいる。 という私も、これを書きながら、一瞬、涙で画面が見えなくな る。 亡くなってから何年も経つのに、人を泣かせるハツも、よく 彼女のお母さんを思っては泣いていた。あさぎが生まれて、初 めて連れて行った時も、 「母が生きていたら、どんなにかENJOYしてたか・・」 と言っては涙ぐんだ。 長いお寺関係の付き合いの人達のことにも、ホントに親身になっ てお世話をしていた。収容所経験をしているハツの世代、戦争が 終わってからも、みんな助け合って生きていた。 ロサンゼルスの盆踊り。 そういう歴史を持つ人達が、今でもロサンゼルス各地で、盆踊り を支えている。 お寺の檀家の人達が、毎年、フードブースを出す。 地下の食堂では、いつも婦人会の人達が総動員で、うどんや丼物 の支度をする。 子供達は、農家から寄付された野菜や果物を売るブースでお手伝 いをしている。 昔は日本のどこの田舎でも見られた光景が、このロサンゼルスで それも英語しか話さない人達によって継承されている。 ここに来る度に、私は、日系人の人達にホントに頭が下がる思い になる。 リトル東京が衰退してきたと言われているが、このお寺系のネット ワークは、ここ数年、宗派を超えた協力関係を築きつつある。 日本人が失いつつあるもの。 それをこの地で守り続ける日系社会。 その二つの社会の間で、自分が何が出来るのか、いつも考えながら、 ちゃぶ台の使い方を改めて考えたお盆の夜。。。。。 こういうのを見ちゃうと、ちゃぶ台、ひっくり返せなくなるんだよ ねー(苦笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 11, 2012 05:58:04 AM
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