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テーマ:身近な人権問題(279)
カテゴリ:身近にある人権問題
横浜の中心部に位置する「寿町地区」は「日本の3大ドヤ」の一つで有名だ。 このドヤ街の歴史を簡単に書くと、まず行政がこのドヤ街を造ったのが、昭和38年~39年だ。それ以前は、日雇いの人達は「野毛・桜木町」にいた。寿町の簡易宿泊施設をやっている人達は野毛の大岡川(弁天橋や都橋近辺)で「水上ホテル」というだるま船を改造した宿泊施設を利用し、桜木町の向こう側、今のみなとみらい地区にあった「三菱造船」や港の仕事をしていた。今、寿町にある「職安」も野毛にあったし、手配師と言われる日雇い労務者を手配する人達もみな野毛にいた。 昭和39年に初めてのアジアでのオリンピックが東京で開かれるということで、当時の日本政府は「外人に汚いところを見せるな」ということに莫大なお金をかけました。当時はまだ外国から来る人々のほとんどが船で来訪したのです。東京に来るということは、横浜の大桟橋に着いて、桜木町から電車に乗る(バスも同じ)ということで、横浜の中心部は行政が思う「外人に汚いところ」を一掃した形になりました。 野毛の街の露天商や屋台、日雇い労務者も一掃されました。その時に出来た町が寿町。だから寿町は野毛の片割れのような町なんです。日雇いの仕事もバブルを境になくなって来ました。そうなると簡易宿泊所にも泊まれなくなり、野宿をする人達が多くなってきたのです。 これが現状で、ひとりの友人は「寿支援交流会」という組織を作ってここで活動をしていますが、実際は「野宿生活者たち」への支援になってきています。もうひとりの友人は、寿町に住んでいて29年前から「寿町フリーコンサート」というイベントを毎年夏に行っています。今年の夏で29回目になります。 このフリーコンサートは出演者も無料(昼食代に一人500円支給)、観客も無料、主催側もボランティアで無料というイベントですが、知名度も上がり出演したいという有名ミュージシャンが多く選考が難しいのだそうです。行政や大企業からは一切援助はなく、企画運営は大変な労力が必要なんですが、寿町の人達はこのイベントを楽しみにしているので、止める訳にはいかないということです。 写真は数年前に撮りました。本当は写真撮影禁止なんだそうです。
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最終更新日
2007/02/17 03:18:17 PM
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