|
テーマ:身近な人権問題(279)
カテゴリ:身近にある人権問題
>つづき ■ポジティブに生きるための野宿 ある人はポジティブに生きるために野宿生活を選んだと言う人もいる。バイトをかけもちでして、12万円ぐらいの収入を得るのがやっとで、カツカツの生活をしていたが、8万円ぐらいの収入になってしまったので、アパートを維持できず、野宿になった。野宿をしてみると、食べるだけだから8万円あれば、十分すぎる生活ができるという。野宿をすることで、ポジティブに生きることができるようになったという。 確かに、都市雑業などでそれなりに収入があった仲間が生活保護になると、収入は増えたがやりくりが大変になったという話は良く聞く。意外に思うかもしれないが、これは事実だ。アパート生活では水道光熱費などの制j級が翌月に届く、この費用が頭から離れず、やりくりが大変だとなる。当たり前だが家賃もそうだ。決まって出て行くお金が大きいので、いつもお金に追われている気分だという。 野宿だと、自分の食べる分を稼げば良く、ここが重要なのだが、コミュニティを作っている場合は余分に稼いだ仲間が何もない仲間に食べ物を差し入れたりで、お互いにどうにかなっている場合がある。しかし、単身でアパートに入ると、この互助システムが機能しなくなってしまう。今日はたくさん稼げたから食ってくれと誘う野宿者の笑顔は見ていて、とても励まされる。 非常に豊かなコミュニティを持った野宿者もあるが、行政は野宿生活は良くないもの、脱却すべきものという態度を崩さない。その態度は自立支援という言葉に表れている。むしろ、何もない中で、自分達の知恵と工夫で仕事を作り出している。身体が動く限りは他人の世話にはならないみたいな自立心を持っているのに、行政は非常に否定的だ。ホームレス自立支援法しかり、自立支援センターしかりだ。この名前には、野宿生活者は今は自立していないから、自立を目指せと悪意がこめられているとしか思えない。 野宿という生活の中で、自分の生活を作り出している究極の自立形態を無視して、自立支援センターに入所して、自立を目指せというのは、まるで野宿生活者全員が、自立していない、自立を支援してやらなければダメな存在と呼ばれているようだ。これでは今までの生き様を否定しろと言っているようなものだ。そんな状況で目指す自立にどんな意味があるというのだろうか。 >つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/02/17 04:38:10 PM
コメント(0) | コメントを書く |