2013/07/30(火)07:19
三島の「レシ」は……。
『幸福号出帆』三島由紀夫(集英社文庫)
えーっと、世界文学の話を前振りにしようとして、しかしそのことに関して私はほぼ何も知らないもので、ちょっと恥ずかしいと思いつつ、少しだけ書きます。
ジイドの話なんですが、ジッドって言うのですかね、なぜか私はジイドに馴染んでしまったのですが(昔は「ジイド」って言いませんでしたっけ。私の覚え違いでしょうか)、とにかくそのジイドかジッドかが、小説を「レシ」と「ロマン」に分けている、と。
あ、思い出しました。私のこういった世界文学の断片知識は、三島由紀夫の文章から教わったに違いありません。
ただ、さっき少しネットで調べてみたのですが、ジッドの述べている「レシ」と「ロマン」の定義について、私の覚えていたものと結構違うことが書いてあって驚いているんですが、私の三島知識によりますと(こんなところで勝手に三島知識なんていって、責任の一端があたかも三島由紀夫にあるかのごとき欺瞞的記述は、大いに問題がありそうですが)、単純に言って「レシ」が「お話」で「ロマン」は「(純)文学」である、と。
自作の中でジッド自身が挙げているのは、「ロマン」は『贋金つくり』ただ一作であり、例えば私が読んだ数少ないジッド作品のひとつである『狭き門』なんかは、「レシ」なんだそうです。
『狭き門』、むかーし読んだきりですが、かなり本格的にすばらしい話だったように覚えているんですけれどねぇ。
一方悲しいことに『贋金つくり』は私は読んでいないので、「ロマン」がどんなにすごい作品なのか、よくわからないでいます。(だから世界文学の話は、恥ずかしいのでありますがー。)
とにかく私はそんなことを三島由紀夫に教わり、そして三島自身もそんな風に小説を書き分けていると納得していたわけです。
で、冒頭の今回の本作はどちらかというと、まがうことなき「レシ」であります。
文体一つ取ってみても、これも考えればかなり昔に読んだきりなんですが、『金閣寺』なんかとはかなり異なっております。
ただねー、……ただ、困ったことに(別に困らなくてもいいのかもしれませんが)、今回私が強く思ったのは、「三島のレシはつまんないなー」と言うことでありました。
いえ、ひょっとしたら、初出時(初出は昭和30年、読売新聞連載であります。ついでに言えば、翌年昭和31年には、上記にも触れた名作『金閣寺』が書かれました)はおもしろかったのかもしれません。
また、「三島のレシは」という書き方も良くないかもしれません。
「三島のこのレシは」と言うべきであるかもしれません。
でもわたくし、思うんですが、三島のレシがおもしろくない理由は、二つあります。
一つは三島の親切心ゆえであります。「親切心」ってのは、変な話だとは思うのですが、これはわたくし、三島の『音楽』を読んだときにも思ったのですが、筆者は小説を通して我々に何かを教えてくれようとしているんですね。『音楽』で言えば「精神分析」、本書で言えば「オペラ」ですかね。
昭和30年代の日本ではまだまだ縁の薄かった分野の教養を、三島はこの際ということで、小説を通し我々に啓蒙してくれているのであります。
しかし、これがあだになりました。
あだになったというのは、一つはそんな啓蒙部分が、いち早く作品の中で色あせてしまったこと、もう一つは、筆者のこの啓蒙意欲のおかげで、文体が時に鼻につく「上から目線」の様になっていることであります。
これらの原因は、いわゆる「大衆小説」においては避けがたいものでありましょうか。例外はないものかと考えて、私が思いついたのは一人(そもそも昔の大衆文学なんて読む機会そのものが少ないですし)、江戸川乱歩でありましたが、乱歩作品の「変態」テイストの作品群ですね。
でもあれは、短編小説だし、人間心理(変態的心理)がテーマという、かなりストライクゾーンの狭いものでありますからねぇ。
ともあれ、もう一つの原因ですが、それは三島作品に広く指摘される「問題」であります。
それはまず、いかにも作り話めいていること。そして、ユーモアに欠けることであります。
こうして読んでみて実感したのですが、特に作り話めいているというのは「大衆小説」においては、上記に触れた「筆者の啓蒙意識」と同様で、きっと、そのころの読者の意識とか知性とか教養とかの一歩先を行くということでありましょう。
その「一歩先」が、時間がたってしまうと「半歩先」あるいは「同位置」、場合によっては「一歩後ろ」になってしまうということでありましょうか。
昭和30年(1955年)においてはあるいは多くの人が興味深く読んだかもしれない本作ですが、考えれば半世紀以上も前ですものね。
しかし時間のヤスリというものは、なかなか厳しいものであります。
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