【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年代 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~平成・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~昭和・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~平成・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期の作家
2009.07.30
XML

  『モオツァルト』小林秀雄(角川文庫)

 音楽関係(というより音楽を巡るエッセイ)の本が好きで、ブックオフなどで見つけると、つい買ってしまいます(但し高価でなければ)。
 
 今回の読書報告のこの本も、僕としてはその一環ですが、本ブログとしては、初めて正面から取り上げる芸術評論です。

 芸術評論は、時に思わず唸ってしまうような素晴らしい本に出会うこともありますが、実際はそんな本はあまりありません。(お前の読書生活が貧弱なだけだというご意見もありそうですがー、えー、まー、その通りでございますうー。)

 でも、わりと好きで読み続けるのは、読み手と書き手の、一冊の本を挟んで共有する前提条件のフィールドが、極めて広いからですね。

 簡単に言えば、モーツァルトの音楽の嫌いな人はモーツァルト論を書かないし、読者についても同様だということです。
 さらに読者の立場で言えば、そうでなくても好きなモーツァルトの音楽について、本を通しても楽しめるという、昔あったコマーシャル・コピーの「一粒で二度おいしい」状態であります。
 えー、お分かりいただけますでしょうかー。

 というわけで、小林秀雄です。
 この人くらいになりますと、小説家でなくても、取り上げるに充分ですよね。

 さて、この本そのものは、やはり昔から持っていたのですが、たぶん僕は初めて読むと思います。小林秀雄の美術関係の本は、かなり昔から読んでいたのに、音楽関係の本は初めてというのは、その頃の私の嗜好のもたらした結果でしょうね。

 今回、この角川の本の中に、「バッハ」というエッセイかな、そんなのが入っていることに気が付きました。で、実は、問題はこの「バッハ」なんですがー。

 小林秀雄は冒頭、アンナ・マグダレーナ・バッハ著『バッハの思い出』を取り上げて、すごく誉めあげているのです。ほとんど絶賛に近く。
 でもこの『バッハの思い出』という本は、バッハの二人目の妻、アンナ・マグダレーナ・バッハの名を騙った十九世紀のイギリスの女流作家が書いたのだろうと言うことが、現在ではほぼ定説となっています。

 しかし小林がこの文章を書いた頃はそれは「定説」というものではなかったらしく、小林は以下のようにそのことに触れています。

 「これは比類のない名著である。出典につき、疑わしい点があるという説もあるそうだが、そんなことはどうでもいいように思われる。僕にはそう考えるより他はなかった。バッハの子供を十三人も生んでみなければ、決してわからぬあるもの、そういうものが、この本にあるのが、僕にははっきり感じられたからである。」

 うーん、何というか、少しとまどってしまいます。

 芸術作品の真贋を見分けるというのが極めて難しいということは、かつてオランダの画家・フェルメールについて書かれた本を読んだときにも十分に感じたのですが、この度、「あの小林秀雄でもそうか」と考えてしまうと、決してレッテルに弱いつもりはなくても、少しとまどってしまいますね。

 だって、小林秀雄の独特な文章の展開と論理の飛躍は、その根本に真贋を厳しく見分ける彼の審美眼というものを置かないとすれば、全体が砂上の楼閣の如くこなごなに崩れてしまうような気がしませんかね。

 なかなか怖いものですな。
 しかし、こんなことって、きっと結構いっぱいあるんですよね。それがなぜ小林秀雄の場合だけ、とまどってしまうかというと、それはやはりこの人の意匠のせいでしょうね。

 例えば坂口安吾が同様のことを書いていたとしても、おそらく僕らはそんなに驚かない。いかにも「安吾的誤謬」であると、かえって安心して、そして、ますます(おっちょこちょいな)安吾が好きになってしまうような気がします。

 そういえば、小林秀雄は、今でも読まれているんでしょうかねぇ。
 僕が寡聞にして知らないだけなのかも知れませんが。いやぁ、生きている小説家も大変だとは思いますが、死んだ表現者もなかなか大変ですね。

 ということで、本の中にあった「モオツァルト」という評論については、ところどころさすがに感心する部分はありましたが、先に「バッハ」を読んだもので、ちょっと鼻白むところもあり、全体として大きな感動・感心がなかったのは、出会いの妙と言いますか、残念至極でありました。

 うーん、重ねて、残念。では。


/font>

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.07.30 06:06:41
コメント(6) | コメントを書く
[昭和~平成・評論家] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

徘徊日記 2024年6月… New! シマクマ君さん

今週、観た映画(202… ばあチャルさん

Comments

aki@ Re:「正調・小川節」の魅力(01/13) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
らいてう忌ヒフミヨ言葉太陽だ@ カオス去る日々の行いコスモスに △で〇(カオス)と□(コスモス)の繋がり…
analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
√6意味知ってると舌安泰@ Re:草枕と三角の世界から文学と数理の美 ≪…『草枕』と『三角の世界』…≫を、≪…「非…

© Rakuten Group, Inc.