続・異文化トレーニング
カルチャーのトレーニングは、まだまだ、これからもずっと続いていきます。現在は、スタッフを招いて、様々な文化背景をもったクライアントとのワークの話になっていて、先週は、ベトナム移民としてアメリカに来て、現在はセラピストとして主に、ベトナム系のクライアントを持つ、Nさんから話を聞きました。まず、彼女自身のバックグラウンドから、どのような経緯でアメリカへきたのかというパーソナル・ストーリーから始まり、ベトナムの歴史や移民についての話を聞きました。ベトナム移民と一口にいっても、様々な経緯でアメリカにきている人もいるので、それによっても、大きな違があります。そして、その方の家族が、社会の中でのどの位置にいたか(階級)によっても、こっちに来た経緯が変わってくるので、そのあたりを含めた、その人自身のヒストリーを聞くことを、Nさんは私達に勧めています。それともう一つ、文化の違いの要因として、アメリカよりも、ベトナム人の方が、受身の人も多いということから、セラピーでの介入方法も、微妙に違ってくるという話をしてくれました。これは、ベトナム人に限らず、様々な文化背景を持つクライアントにいえます。それは、もちろんアメリカ人も。結局、個人によって違うのですから。そして、ここで、様々な文化背景が入ると、もっと複雑化。というよりは、自分とバックグラウンドが全く違う場合、自分の中で予想できる範囲を超えているので、AだったらB、又は、Aの行動は、○○という症状ではないか?という基準に当てはまらなくなるという事も多々あるので、文化が関係しているのかどうかを見ることは大切になってくるのでしょう。先週の話は、みんなかなり聞き入っていました。そして、今週は、日本人スタッフによるプレゼンテーションでした。このセッションは、また今までとは、違った文化の視点が入ってきました。今までは、どうしても移民(理由があって国を去った人達)やアメリカで生まれたアジア、ロシア、ラテン系などなどの話が中心でしたが、ここで、”外国人”としての視点がはいりました。どうしても、アメリカで文化背景の話をすると、○○系△△人というように、結局は、アメリカの中での文化の違いだけに焦点をあてた、それを中心とした話になりがちで、意外と、”外国人”という感覚でアメリカに居る人の話までにはなりにくかったりします。その”外国人”の感覚とは、こっちに住むつもりはなかったけど、いつのまにか、気がついたら、結局、何十年もいるといった感覚で住んでいる人。又は、留学生など。このグループの人達は、かつて移民としてきて人、そして、1世、2世、3世として、又は”日系アメリカ人”としている人達とは違います。そのあたりの話にもなり、いつもとは違った視点だったのです。そんな、違った視点の切り口だったからなのか、このプレゼンテーションでは、いつも話さない人達(←やはり外国から来ている人・○○系アメリカ人でない人)の発言が目立ちました。いつもと違ったグループの雰囲気、又は、いつもとは違ったダイナミック(やりとり、交流、力動)になったのをを見ただけで、”文化”といっても、(いや、様々な異文化だからこそ)様々、色々あるのだということが分かります。この毎週のグループで起こっていること、グループの中で思うことなどは、やはり、クライアントと向き合ったときにも、起こりうることなのです。そういう事に気づくために、このカルチャーのトレーニングがあったりします。私も、このトレーニングを通して、様々、思うこと、トレーニング自体に反発、反抗的な部分がありました。では、それはなんだったんだろう?どこから来ていたのだろう?その辺りに、ここ数週間、焦点があたっていました。それプラス、スーパーバイザーとの関係性でも、様々なことがでてきていて、主に、文化に関することから来る居心地悪さなどなど・・・、そのほか、ディレクターとの会話の中で、腹立たしかったことなどなど・・(これまた、文化関係)・・色んなことが起こっていました。それを、ここ最近、ディレクターと話したり、スーパーバイザーと話したりしてプロセスをしていたのです。それもあってか、気持ち的には、ちょっと疲れたりしていました。でも、こうやって、セラピーの外で起こっている事、自分が反応してしまう事柄などの傾向は、セラピーの中でも、起こりうるのです。それを、どのようにプロセスしてゆくかも、大切なんだと思います。でも、大切と分かっていても、腹立たしく思ったり、投げ出してしまいたいときもあったりするのが本音。ただ、これが、やっぱりトレーニングなのかな?と思う今日この頃だったりします。