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テーマ:日々の暮らしの中で(18)
カテゴリ:暮らしの中で
続けます。
救急車は到着したが、隊員は中々降りてこなかった。 「すみません、お手数おかけします」と言った私に 挨拶もできない隊員の発した第一声は… 「大丈夫って言われたんでしょっ!」 私は絶句した。 最低な救急隊員だと思うのは、間違いでしょうか? なら何をしに来たんだ、自分の親であったとしても同じ事を言うのか。 こんな奴が居る分署、他の比較的若い年代の二人も 前回のような安心感を持てるような感じはなかった。。。 救急車を呼ぶ際の此方の話しの中で隊員が捉えたのは 「大丈夫と言われた」… 一週間も前に医師に言われたその言葉、それだけか? 身動きもできない等、必死で詳細を伝えたのに。。。 だが そんなことを思っても、 下手に出て助けてもらうしかない。。。のが悔しさになる。
病院をいくつかあたって、結局は…また足利日赤病院。 我が家周辺から日赤に向かう救急車は 私の知る限り100%高速を使う。 だが一緒に乗って行った父が「高速じゃなかった」と。 「こいつら!」といったような怒りが。。。 このルートの一般道は道が良くない。 そこを走る救急車両の速度…飛ばしはしないだろうが 背中を痛め苦しんでいる者にとって、どれほどの苦痛だろうか。。。 「救う・急ぐ」と書く、この職業につく今回の隊員は 本当にこの仕事を全うしてしているのか?とさえ思った。 それとも、救急隊員に人としての心は不要なのか? これも本来のあるべき姿の内? それなら…仕方ない。。。 今度、救急車をお願いすることがあったなら 「多少の時間がかかっても、お願いだから西分署だけはやめて下さい」と先に言おう。 まあ、緊急時にそんな余裕はないだろうが。。。
足利赤十字病院 暫くして、前回の I 医師ではなく F 医師 どの辺が痛いのかなとドンドンと手をずらしながら叩いてみる 「痛いからやめてー」と悲鳴をあげる母。 痛めている場所が分かる。 F医師に言ってみた… 「先生、もう一度画像を撮ってもらうことはできませんか?」 この言葉の裏は「こんなに痛がってるのに、なぜ画像を撮らないのか」である。 するとF医師は「えっ?撮ってないの?」と。 患者側に聞くことか? 聞かれる意味さえ分からない。が 「聞いてません。」と答えた。
だいぶ待って説明を受けた。 最初にかかった時の画像も合わせ見て 「ここが…」 脊髄の圧迫骨折、 初めの緊急での診察で気付いていれば。。。 この一週間で1cm程のズレも出てしまったのである。
日赤では手術できる医師がいないと。 再度暫く待ち、 F 医師の友人が… 先に言った我が家のかかりつけの病院にいるそうで… そちらには脊髄専門の医師がいるのを私も知っている。 そちらが満床で受け入れられず日赤に来た訳であるが その友人の医師によると、 特別室しか空いていないがそれでも良ければと。 一日2万いくらなのは知っていた。 父と兄が「お願いします」と言ってくれた。
母を少しでも楽にしてあげたい、何とかしてほしい それが家族の思い。 それでも、その時の経済的状況によっては やむを得ず、その提案を断り、 差額なしのベッドが空くまで待たなければならない場合もあると思う。 母と二人暮らしだったら、自分がどうしていたか。。。 そんな思いに、父と兄に感謝の気持ちが湧いた。 …続く… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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