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テーマ:史跡巡り(776)
カテゴリ:・・九州内(その他)
松浦水軍の兜に来ました。33.36451, 129.74174
こんなに大きな兜です。 (松浦の恋HPより) 中世に活躍した武士団【松浦党】をモチーフにしたモニュメントが目印。 海沿いドライブの休憩所として市外の方からも多く利用されています。 松浦市は松浦党発祥の地です。 松浦党とは、中世に海を舞台に活躍した武士団のことで嵯峨天皇の子孫にあたる渡辺久(わたなべのひさし)が、その始祖といわれています。久は1096年にこの地方を治めるため御厨検校(長官)としてこの地におもむき、松浦市今福町に梶谷城を築き「松浦」の姓を名のり定住しました。松浦党は、その活動を万里の海に求め交易による大陸文化の摂取にもつとめました。 松浦党の活躍はめざましく、源平の舟合戦などにも参戦しました。元軍が北部九州に攻め寄せた文永の役と弘安の役では目の前の湾内に集結した元軍の軍船に奇襲戦法などで応戦しました。 郷土ロマンと先達者の活躍を誇りにし、その思いをこの兜に託し、松浦氏の存在と示すものです。 このモニュメントの参考にした兜は武将用のもので実際の舟戦では鍬形(左右の角)は取り外していました。 八幡とは全国の八幡神社の祭神であり武家では軍神と崇め武運長久の祈りをこめて、これを押し立てて舟戦に臨んだのです。 小代水軍と九州の水軍との関係を、会長の研究テーマです。 荒尾にも小代水軍のモニュメントを・・・そんな話はありません・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.17 00:00:19
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