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テーマ:史跡巡り(776)
カテゴリ:毛利氏・宍戸氏
久留米城跡の小早川神社に来ました。33.328476, 130.508169
小早川神社:ご祭神 毛利(小早川)秀包(ひでかね)公:毛利元就の末子として1567年安芸国に出生。初名は元総(もとふさ)。のち兄小早川隆景の養子となる。容姿端麗な美・・(後略) ※ここまで読んで、読みにくい字体で頭にきて止める。何でこんな字体を選んだのだ!? そこで、以前の説明文を・・ 当神社のご祭神は旧久留米城主の毛利秀包公であります。 公は毛利元就の末子として永禄十年(1567)安芸国に出生、初名は元総、一時兄の小早川隆景の養子となったので、小早川神社と称します。 豊臣秀吉に仕え戦功により久留米城主と成りましたが、関ヶ原の戦で西軍に組みした為に領地を失い、 本家の領地で慶長六年(1601)に没しました。 秀包公は妻(豊後のキリシタン大名大友宗麟の七女)の引地と共に熱心なキリシタンでしたので、この神社の扉にはアンドレアス十字が刻まれています。 十字と言うか、カケル字です。 毛利秀包 - Wikipedia有馬氏の神社の先に、ひっそりと保存されています。 有馬氏の前の領主の置き土産なのですが、よく保存されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.25 00:00:17
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