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テーマ:史跡巡り(776)
カテゴリ:・柳川・久留米
菊池氏一字一石塔に来ました。33.1279917,130.442025 菊池氏一字一石塔 天正の頃(一五七三~九一年)、島地区は、矢部川河口の 有明海の波うちぎわに位置していました。 葦の生える海岸一帯を拓き、島堀切村数十町歩(ヘクタール) を開拓したのは、米良信之(島信之)という人です。 この一字一石塔は、島信之より三代目の島信家(十右衛門)が若宮神社に四十八夜の読経をつとめて建立したものです。 平石の自然石の表面に梵字を刻み、平石の下に供養のため、 法華経の字を一字ずつ書いた小石六三八三九石を埋めていま す。島信家は、あつい仏教信者で、祐慶と号しました。 島氏は、もともと肥後国隈府(現在の熊本県菊池市)の城 菊池氏の一族ですが、戦国動乱期に、日向国米良郷(宮崎 県児湯郡西米良村)で米良氏を名乗りました。そして、島に 島氏と改め、明治になって菊池の旧姓に戻したのです。 米良氏・菊池氏・島氏は、みんな同族です。 大和町教育委員会
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最終更新日
2023.10.10 00:00:24
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