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セミリアイア「晩年」日記

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2019.12.29
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カテゴリ:随想
「貫く棒のごときもの」と続けば、虚子の名句だが、自分はそれほどの一貫した生き方などしていない。あるいは、この句自体が虚子自身のことではなく、自分を超えて流れる時間の強靭さを歌ったのかもしれないが、とにかく、今は「そんな生き方はできなかったなぁ」というため息とともに、年末になれば脳裏に浮かぶ句ではある。

「貫く」というわけではないが、それでも、今年も来年も同じようなことを考え、他人から見れば、どうでもいいようなことをやって、その中で中途半端に悩んだり、いきがったり・・・そんなふうに生きていくのだろうなぁとは思うのだ。

この歳になると、大きな変化は望まない。人生の方向性は大きく変わらない方がいい。

妻と二人で同じ家に住み、毎日のように他愛ない軽口を応酬する。たまに、ちょっとは老けたがそう変わりもしない顔をした息子や娘と会って、こちらは数か月で別人になっているかのように思う孫におもちゃや服の一つも買ってやり、一緒に遊んで疲れ果て、帰ったらほっとする。同じ職場で、去年よりは少し短く働き、少し疲れ、やっぱり歳かな、と慨嘆する。射場に出かけ、何だかんだ悩み、仲間と話し、時々は遠征に出かける。

そういう日常は、変わらずに続いてほしい。

だが、やがて何かが変わっていくだろう。何かができなくなるかもしれないし、誰かを失うのかもしれない。

去年今年は、そんな危うさの中で連続している。そこに「棒のごときもの」など求めようもない。





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最終更新日  2019.12.29 07:01:57



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