カテゴリ:随想
前の校長の無計画な採用のおかげで、自分が校長に就く前後は専任教員が教科によっては、かなりだぶついていた。一人あたり、授業時数もずいぶん少ない教科もあったし、クラス人数も少なくなっていた。
人間は楽なことにはすぐ慣れる。自分が勤務したてのころは、1クラス50名などというのは普通で、最大55名のクラスがあった。試験をやって、採点するとなかなか終わらない。ところが、今は30名もいると「クラス人数が多すぎて大変」ということになる。 まあ、そういうわけで、60歳定年退職後の扱いは、週20時間勤務の准常勤講師ということにした。法規では、週1時間でも雇用すれば、再雇用義務を果たしたことにはなり、現に他県の公立ではそういう再雇用もあった。自分の年齢までは61歳、そこから3歳下までは62歳、さらに3歳下だと63歳から65歳支給開始となる厚生年金部分の経過的措置として、満額ではないが支給が始まることになっている。その2年くらいを、准常勤という名の非常勤のような勤め方で過ごせば、何とかなるでしょう、という考えだったが、実際には65歳まではその職位で、という運用だった。 これまでと変わらない仕事をして、給与は60%くらいというのが民間の平均的再雇用の姿で、もちろん収入はこちらの方が多い。しかし、当時は月28万を越えると年金は越えた分の1/2がカットされるという決まりで、准常勤の額は平均的な教諭の場合、カットされないぎりぎりの線だった。62歳まで校長だった自分は、当然全額カットだった。フルタイムの場合、公立では28万くらいの給与に多少の賞与がつくから、年金の半分以上はカットされることになる。それはバカらしい、というのが最大の理由だが、再雇用の際に、授業評価の低い人間の配置転換も考えていた。しかし、使えないヤツはどこでも使えないから、どこにも持っていきようもない。 ともあれ、自分も校長を辞めるときに、内部からは学園顧問などの特別な職位に、という声も多かったが、自分の決めた再雇用規定に例外を作るのはよくないと考え、自らの職位を自分で決め、規定通り准常勤講師になった。授業時間はほぼ10時間、会議等の出席はなし、校務分掌は補助的業務だけというお気楽な勤務である。 公立などでは、校長職の場合は、すっぱり辞めるというケースも多いのだが、自分は授業をすることに飢えていたので、その選択はなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.05 07:03:01
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